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2023.11.16

“ありのままで生きたい”認知症と診断された私が選んだ道 【山中しのぶさん インタビュー(前編)】

認知症と診断されると日常生活や仕事にさまざまな変化が訪れます。どうしてもネガティブな変化が注目されがちですが、実際はそれだけではありません。


今回は、若年性認知症と診断されたあとも、自身の経験を活かし新たなステージで活躍をしている、山中しのぶさんにインタビューを実施。自身で介護施設を立ち上げ、認知症当事者として、介護者として、さまざまな人のサポートをしている山中さんに、これまでの歩みや施設を立ち上げた理由、共生社会実現におけるポイントを伺いました。


山中しのぶさん
一般社団法人「セカンド・ストーリー」 代表
1977年生まれ。高知県南国市在住。3人の男の子の母。2019年2月に若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。当時は携帯会社の営業職として勤務していたが、新しいビジョンを実現するために退職。一般社団法人「セカンド・ストーリー」を設立する。2022年10月より利用者が有償でボランティア活動を行うデイサービス「はっぴぃ」を香南市に開所。2022年7月に「高知家希望大使」へ就任。

目次
・「やりたいことをやる」背中を押されて育った幼少時代
・営業を通じて学んだ、“人を深く知る”ことの大切さ
・「忘れられるより、自分が忘れるなら……」認知症と診断されたときの思い
・「ありのままで生きたい」職場へ病気のカミングアウト


「やりたいことをやる」背中を押されて育った幼少時代

―――まずは、山中さんのこれまでの歩みを教えてください。幼少期や学生時代をどのように過ごされてきたのでしょうか?

私は、高知県の長岡郡本山町というところで育ちました。家族は両親と兄と私の四人家族。5歳上のお兄ちゃんが大好きで、どこに行くのもお兄ちゃんに付いていくような、おてんばな女の子でした。どちらかというと女の子の遊びより、男の子の遊びが好きでしたね。


お父さんは厳しい人でしたが、やりたいことはやらせてくれるような人。お母さんは何をやるにしても反対せずに応援してくれるような親でしたね。自由になんでも言い合えるような仲のよい家族だったと思います。


私の子どもたちにも、当時の両親から受けてきたような育て方で接しているつもりです。


―――当時はどんな夢や目標を抱いていたのでしょうか?

小学校のときの将来の夢は看護師でした。もともと、母が歯科衛生士の助手で、白衣を着ていたのでそれに憧れ、子ども心に「お母さんの服が着たい」ってずっと思っていました。


その後、学校の先生になりたいと思っていた時期もありました。夏休みになると、父方のいとこが1ヶ月間泊まりに来ていて、その子の面倒をよく見ていたことから、自然と先生への憧れを抱いていました。


営業を通じて学んだ、“人を深く知る”ことの大切さ

―――そこから社会人になって、どんな道に進んでいったのですか?

ハーブ園で働いたり、学生の寮母みたいなことをしたり、レストランのウエイトレスなども経験しました。寮母をしていたときは、大学の実習生を自分の家に泊まらせて、お世話をすることもありました。子どもたちも大好きでしたし、当時も学校の先生という夢を追いかけていたのかもしれません。


私は人と関わることが大好きなので、「人と関わること」「子どもと関わること」を軸に仕事を選んでいました。その後は、携帯会社に転職し、営業職をしながらさまざまな人と関わり、約16年間働いていました。


―――携帯会社では、とても長い間働かれていますが、長く続いた要因は何かあったのでしょうか?

一緒に働いていた仲間の影響が大きかったですね。営業職なので当然ノルマもあり、とても大変でしたが、いつも一緒に働いていた仲間に助けられていました。今の私があるのは、そこで働いた16年があるからだと思います。


―――現在の山中さんにどう結びついているか、具体的に教えていただけますか?

携帯会社では、店舗での販売を経て法人営業を担当していました。法人営業は地域のいろいろな企業や団体に携帯電話の導入提案をする仕事です。


ただ、携帯を販売していたわけではありません。訪問にそなえて、ホームページを見て情報を収集することはもちろん、理念などを確認して企業・団体・代表者の思いを知る。そして、そこに在籍している人のニーズやお困りごとを聞き、本当に必要なサービスが何かを提案していました。


特に、当時の会社は「売らない営業」を大切にしていて、「買って」とは絶対に言わないようにしていたので、たわいもない話をするなかで、「どんなことをお客様が望んでいるか」を考えるように徹底していました。人として成長させてもらいましたね。


「忘れられるより、自分が忘れるなら……」認知症と診断されたときの思い

―――携帯会社に勤めているなかで、認知症の症状が見られるようになったようですが、どういったことがきっかけでしたか?

最初の違和感は時間の感覚のずれです。いつもやっていたことが思い出せなくなって、起床時間、子どもたちを送る時間、出勤時間などの段取りが狂いだしました。


毎月、決まった日に仕事のミーティングがありましたが、前日に同僚からその予定を聞いていても朝になったら忘れているとか。子どもの野球の試合の日はいつも欠かさずに覚えていたのですが、あるとき、それも分からなくなりました。メールやLINEで連絡が来ても、文章が長すぎると解読できないこともありましたね。


―――そこから違和感を覚えていったと。病院へ行くきっかけは何かあったのですか?

認知症を題材にしたドラマを見ていたときのことです。長男がドラマに出てくる認知症の主人公を見ながら「お母さん、この人と同じよ。病院に行ってみたら?」と言われたことがきっかけです。自分で病院を探して、脳神経外科を受診しました。


そして、2019年2月、私は、認知症と診断されました。


―――認知症と診断されたときは率直にどう思いましたか。

診断される以前は、自分自身が認知症であるという確信は持っていませんでした。そのため、生活をしているなかで症状が出ていたときは「どうしてこんなことになるんだろう」と疑問に思っていました。


なので、医師から認知症と診断され、原因が分かった瞬間は「ホッ」としたのを覚えています。ただ、その後ネットで認知症のことを調べるとネガティブな情報も多くて、どんどん不安感が強くなっていきましたね。


―――診断されたときの家族の様子はどうでしたか。

長男は「もう診断されたのは仕方ないね」と。


次男は「認知症に負けるな」とひとこと。


お母さんは泣き崩れていました。「こんな体に産んでごめんね。お母さんだったらよかったのに。変わってあげたい」と。お母さんに泣かれたのはショックでしたね。


そのとき、「“私が忘れる”より、“私が忘れられる方”がつらいから。だから大丈夫よ」と話したのを覚えています。


「ありのままで生きたい」職場へ病気のカミングアウト

―――認知症と診断され、仕事にはどのような影響がありましたか?

診断後、上司と同じ部署内の人たちにはカミングアウトをしました。仕事をしていく上で、どうしても一人で対応しきれず周囲の人と一緒に取り組む業務もあったこと、私としても人に迷惑をかけたらいけないという思いもあり、伝えました。


カミングアウトをした上司の方がすごくいい人で、お客さんの対応や事務作業などいろいろな面でフォローしてくれました。本当に良い環境だったと思います。


―――カミングアウトをするのに躊躇や不安などはなかったですか?

これまでの仕事で築いてきた関係性があったので打ち明けるのに不安はなかったです。上司がどんな性格でどんな人かもわかっていたので。ただ、会社の意向で、ほかの部署や店舗のスタッフには公表しないことになりました。それは私が色眼鏡で見られないように、という会社側のやさしさでした。


―――カミングアウト後、仕事への支障はなかったのでしょうか?

カミングアウトをしている人には「これを一緒に覚えてほしい」「これを助けてほしい」と言えたのですが、ほかの部署のスタッフには言えなくて。「分かっている人」が周囲にいればフォローしてくれるのですが、カミングアウトをしていない人と仕事するときはそうはいかず。


会社側は私が仕事をしやすいように配慮をしてくれていましたが、徐々に仕事をするのが難しくなっていく感じがありました。


―――そこから携帯会社をやめるに至ったきっかけを教えていただけますか?

やめたのは仕事が嫌だったとか、会社から退職を勧められたわけではありません。


ただ、私は「自分が生きやすいように生きたかった」という思いが強くありました。カミングアウトして生活する道を選びたかったんです。


―――携帯会社は16年お勤めされたのでしたね。仕事をやめるのに対して未練などはありませんでしたか?

未練はありませんでした。


私には次のステージがある、次にやりたいことがあるという思いがあったので。


それもふまえて、上司にもカミングアウトして、しっかりと話もしてきたので。惜しみながらやめたわけでもないんですよ。実際、16年働いてやることはやリましたし。お客様には「おってほしい」「あなたがいないとどうするの」と言ってくれる方もいて、それはありがたかったですね。


後編(認知症になった私が、介護施設を立ち上げた理由 【山中しのぶさんインタビュー(後編)】)に続く


文/藤本皓司



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