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2021.06.15

~若年性認知症当事者 丹野智文さんインタビュー~ 「自分で決めて、自分で動く」ことが当事者や家族の笑顔に

認知症というと、行方不明や物忘れによって意思疎通が困難になるなど、「社会生活が営めなくなる」というイメージを持たれがちです。39歳の働き盛りで若年性認知症と診断された丹野智文さんは、そんなイメージを払拭し、認知症当事者が自分らしく、生き生きと生活できるよう、さまざまな活動をしています。当事者として感じた不安や疑問、活動を通して気づいたことや今の思いを伺いました。


丹野智文さん

宮城県在住。2013年、自動車販売会社のトップセールスマンとして活躍していた39歳のときに若年性認知症と診断される。現在は、同会社にて総務・人事として働くかたわら、若年性認知症当事者として、当事者が元気になる仕組み作りや企画を行なうなどの活動を展開。妻と子ども2人の4人家族。


目次
・これまで数多くの当事者と出会い、感じたこと。
・「30代 アルツハイマー型認知症」。
・子どもたちとの会話で「認知症に偏見を持っていたのは自分」だと気づいて
・家族や周囲の優しさが、自分の意思で決めて動くことの壁になっているケースも
・1週間後、1カ月後、本人は変わらない。
・日々の小さなことも自分で決めて動く。
・当事者同士でサポートすることが、元気や喜びに。


これまで数多くの当事者と出会い、感じたこと。大切なのは「会話」と「本人の意思」


現在、丹野智文さんは、認知症のことを広く知ってもらうとともに、「認知症当事者を笑顔にできれば」という思いで、全国各地で講演活動を行なっています。2015年には当事者同士が自由に話しあう「おれんじドア」をスタート。当事者同士をつなぐ仕組みも次々に作っています。

その背景にあるのは、丹野さん自身が若年性認知症と診断されてから覚えた違和感と、そこから知った、「当事者本人が自分で決めること」「会話をすること」の大切さでした。


「30代 アルツハイマー型認知症」。インターネット上には悪いことばかりあふれていて……


丹野さんが記憶力の低下に気づいたのは33歳のころ。最初は付箋にメモをしていましたが、あまりに多くなりすぎてノートに書くようになりました。それとともに、相手の名前に「TEL」と書けば、どこのだれに何のために電話をするかがわかっていたのに、次第にそれだけではわからなくなっていきました。それでも、ストレスかと思い、病院に行こうという気はなかったといいます。


「これはおかしいと思ったのは、38歳のクリスマスのころ。同僚の顔と名前がわからなくなって声をかけられず、自分の席に戻って組織図を確かめ、ようやく声をかけたということがあったんです。 それで受診すると、すぐに大きな病院に行くように言われました。年明けに専門の病院を受診すると検査入院となり、その結果、『多分認知症だと思うけど、若いから確定できない。大学病院に行ってください』と。その大学病院で、若年性認知症と診断されました」


会社からは「ゆっくり入院して」と言われましたが、その後に続く言葉は、営業マンとしてトップの成績を挙げていた丹野さんにとって、衝撃的なものでした。


「その代わり、今持っているお客さんを全部後輩に渡すように言われたんです。また来年、トップを続けるためにもまず自分の状態をととのえようと思って受診したのに、もう営業の仕事はできない、営業マンとしては終わったんだなと思いました 」


そのころはまだ認知症についてよくわかっていなかったため、症状が進んだ場合のイメージしかなく、不安で眠れなくなったという丹野さん。スマートフォンで『30代 アルツハイマー』と検索して目にしたのは、「進行が速く、2年で寝たきり、10年で亡くなる」など、悪い情報ばかりでした。


「先生に尋ねると『今すぐではないけど、寝たきりの可能性はある』と言われて、2年で寝たきりになると思い込んでしまい、本当に人生が終わったという感覚でした。 当時、子どもはまだ中1と小5でしたから、この先どうやって子どもを学校に通わせようかとか、妻に迷惑がかかるとかいろいろ考えて、もうどうしていいかわからなくなってしまいました」


退院後、丹野さんはとにかく情報を得たいと、役所や地域包括支援センターに足を運びました。しかし、そこには介護保険に関する情報しかなく、「会社をやめてデイサービスに行ってみては?」と言われたこともあったそうです 。


「本当に欲しかったのは、介護の情報じゃなくて、今までの生活をどうすれば続けられるか、そのための方法でした。でも、それがどこにもない。認知症といったら、重度になって寝たきりになってからの情報しか、社会にはなかったんです」 


子どもたちとの会話で「認知症に偏見を持っていたのは自分」だと気づいて


社会や世間に情報がないことは、家族にも混乱を引き起こしました。


「書店に行っても、認知症については予防か介護の本しかないんです。だから、妻もなんとか予防したいと思って必死になる。ココナッツオイルが認知症予防にいいということで、自分の意思とは関係なく食べたこともありました。 


そんなことが半年ぐらい続いたあと、妻が子どもたちに自分の病気について、初めて話したことで変化が起きました。子どもたちは認知症であることをすんなり受け入れてくれて、ドラマ『ビューティフルレイン』を見たあとに『パパの病気、これでしょ』と妻にLINEをしたとか。認知症の症状で失敗することもあるけれど、子どもたちは怒らないですね。でも、最近は反抗期のせいか、ただ座っているだけで『パパじゃま!』と言ってきたりする(笑)。そんなふうに普通に接してくれるのがうれしいですね。 


地元で若年性認知症に関する講演依頼があったときも、引き受けていいかどうか子どもたちに尋ねたら、『なんでそんなこと聞くの? パパはいいことをしてるんだから、関係ないよ』と言ってくれて。そのとき、認知症に対して偏見を持っていたのは、実は自分自身だったんだと気づかされました。 

それから、『認知症の人と家族の会(※)』とのつながりができて、多くの当事者に会うことで、自分がまず元気になりました。それを見た妻も、『これでいいんじゃないか』と思うようになったみたいで、ふだんどおりに接してくれるようになったんです」


※関連記事 「公益財団法人 認知症の人と家族の会」 鈴木代表インタビュー


家族や周囲の優しさが、自分の意思で決めて動くことの壁になっているケースも


若年性認知症では、高齢になってからの認知症とは違う、若いからこその苦悩がある、と丹野さんは話します。


「いちばんつらいのは、運転ができなくなったことです。周りの同年代の人は皆、運転しているのに、自分は免許を取られてしまう。同年代との違いが大きいことがつらかったですね。 ただ、若くてよかったのは、体力があること。体はそれまでと同じように動くので、バスに乗っていて降車ボタンを押し忘れたときでも、1停車区間くらい歩けばいいと思えるし、気が楽です。それに、今までスマホをずっと使ってきたので、地図や乗換アプリの操作にも慣れています。それらを駆使して、自分でいろいろなことを決めて動くことができるのが、本当によかったと思います」 


そんな丹野さんが、若年性認知症と診断されてもっとも違和感を覚えたのが「自分で決めさせてもらえない」ことでした。「認知症当事者への優しさが、自立を奪っている」といいます。


「認知症になると、周りの人は少しでも症状の進行を遅らせたいと思う。でも周囲の優しさが、本人を陥れているところもあるんです。 当事者同士で話していると、『財布を持つのを禁止された』『一人で出かけるのを禁止された』という人がとても多いんですよ。なぜかというと、周りが失敗しないように先回りをするから。それは優しさなんだけど、結果的に当事者の自立の機会を奪っている。何もできない人にしているのは、周りの人たちでもあるのではないかと思います。


デイサービスに行く、行かないも自分で決めさせてもらえず、家族とケアマネジャーで決めてしまい、本人が行きたくないと言うと『拒否』だと言われます。それに対して怒ると『BPSD(※)だ』『認知症の症状が悪化した』と言われる。他の病気ではそんなことありえないのに、認知症になるとすべて周囲が決めてしまって、自分の意思を伝えると病気にのせいにされるのは、何かおかしいですよね。実は周りの人たちの言動が本人を怒らせていることもあるのに、認知症という病気のせいになっていると感じていました」 


※関連記事 BPSDとは  



1週間後、1カ月後、本人は変わらない。変わってしまうのは周囲の人々


なぜ認知症と診断されると、自分で決めさせてもらえず、自立の機会を奪われるのか。原因は世の中に出ている認知症の情報が重度になってからのものばかりで、診断された直後の情報が発信されていなかったためだと、丹野さんは考えています。


「診断されてすぐの当事者が人前で話す機会はなかったし、しようとしても周りに止められるんです。自分も最初のころは人前で話そうとすると、『さらけ者にするな』と言われました。だから、これまでそういう情報が広まってこなかったんだと思います。 でも、400人近くの当事者と話してみたけれど、皆、言っていることは同じなんです。それは、『今までと同じように生活したい』ということ。本人は診断された翌日、何も変わらない。1年後には症状が進行するかもしれないけれど、1週間、1カ月後は変わらない。その間に変わるのは本人じゃなくて、周りなんです」 


丹野さんは、認知症の家族や支援者が、当事者に話しかけているのをほとんど見たことがありません。 


「支援者が当事者と家族に会う場合、支援者が最初に挨拶するのは家族なんです。名刺を渡すのも家族、冊子を渡すのも家族。当事者に対しては、『いつ発症したの?』『何に困ってるの?』と、一方的に聞くだけです。 

会話は、言葉のキャッチボールですよね。自分が話したら、次に相手が話せるような言葉を返す。でも、支援者からは尋問みたいに聞かれるだけで会話になっていないから、当事者が話さなくなってしまうのです。


支援者は、支援を必要としているのは家族だと思っているんです。本人が一番大変なのに、家族が大変と言われて、本人のことは本人が一番わかるのに、本人を抜きにしての支援が行われる。でも、本人に向き合う、本人に話すというのは、当たり前のことですよね。それがないのに、『関係性を作りましょう』なんて無理な話です。 周りが決めたことに本人が組み込まれるだけで、本人が決めて自分で行動できないのでは、誰も幸せにならない。だけど皆、それが優しさだと思っているから、変わらないんです」 

丹野さん自身、「当事者への対応はこうする」という世の中の常識があまりに当たり前になっていて、「何か違う」と感じながらも、最初は気づかなかったそうです。


「当事者同士が話す場を作って、たくさんの人と会うと、本当に皆、よく話すんですよ。家族は、当事者に対して『この人話せないんです』などと言いますが、確実に話せます。できるのにできないと言われて、できなくなっているだけ。支援者はボールを転がしたりするレクリエーションが当事者を笑顔にすると思っているけれど、自分は『普通に誰かと話すこと』が、当事者を笑顔にすると思うんですよね。でもそれも、たくさんの当事者に会って気づいたことで、会わなかったら気づかなかったと思います」



日々の小さなことも自分で決めて動く。当事者の気持ちを応援する仕組みづくり


丹野さんは当事者が話し合う場である「おれんじドア」以外に、当事者同士を医療機関でマッチングさせる仕組みも作りました。診断直後に、家族以外の人が本人ととことん会話することは、周りの人が「本人の意思はどうなのか」に気づくためにも必要だと考えたのです。


「当事者は、家族には心配をかけているので、言いたくないことがたくさんある。だから、家族以外のよき理解者と出会うことが大切です。 そこで、診断直後に診察室のすぐ近くの部屋で当事者同士が出会える仕組みを作りました。診断されて間もない、不安だらけの当事者と、すでに自立して元気な当事者が会う仕組みで、今までにないものです。 


そうすると、どんなに引きこもっている当事者も、必ず元気になるんですよ。最初は診察後にやっていたのですが、診察が始まる前にかなり時間があるので、その間に会うこともあります。そうすると、診察前に自分たちとたくさん話しているから、診察室に行っても緊張せずに先生にいろいろ話すことができるようで、先生も診察がとてもしやすいと言ってくれています」 


そのほかにも、運転免許を考える集いや認知症についての勉強会なども行っている丹野さん。「自分は、本人が決めたことを応援するだけ」と笑います。


「認知症当事者にとって、運転というのは大きな問題ですが、家族がどんなに説得してもやめないんですよ。でも、運転をやめた当事者と、まだやめていない当事者がとことん話し合う場を作って、運転をやめるメリットとデメリットをきちんと伝えると、1~2回ではやめないけれど、3回目くらいで必ず自分からやめます。 そして、自分でやめると決めた当事者は、その後絶対に運転しないし、運転免許の更新時期になると自分で返納を決める。家族から運転をやめるように言われれば言われるほど、意固地になって絶対にやめないですね。 


勉強会は、認知症についてや自立、権利などについて、当事者が集まって1日4時間くらい行っています。昔の医療の映像とか、認知症についての県ごとの条例を見て、どう思うかを話し合ったりもします。参加した当事者は皆、レクリエーションよりもこっちのほうが面白いと言いますね。 その勉強会にも皆、自分の意思で参加を決めて、1人で会場まで来るんですよ。途中で道に迷う人もいるんだけど、そうしたら次はどうすればいいか、どうやったら失敗しても自分で行動できるかを話し合います。 


例えば、携帯をなくさないようにネックストラップを使おうとなったとき、家族がネックストラップを買ってきて本人に渡してしまうことが多い。でも本来、どんなデザインのネックストラップがいいかを選ぶのは本人だし、買うのも本人であるはずです。家族に『はい、使いなさい』って渡されても、使わないですよ。認知症ではない人は、どんな些細なことでも自分で決めているでしょう。当事者もそこまで自分で決める、ということを徹底しないとダメだと思っています」


当事者同士でサポートすることが、元気や喜びに。笑顔のためにもあきらめないでほしい


当事者同士が出会い、自分の意思で決めて動けるような仕組みを作り続けてきた丹野さんの次なる企画は「女性のビューティ支援」。そこには、女性の当事者が自分の意思で服や下着を選べていないという現実があります。


「奥さんが当事者の場合、だんなさんが服や下着を買ってくるケースが多いんですが、女性の立場からして、それを着たいと思いますか? だから月に1回、支援者1人に女性の当事者3~4人ほどで美容院に行ったり、お化粧をしたり、服や下着を買いに行ったりする機会を持つ。そして、帰りにはおいしいケーキと紅茶で女子会をして帰ってくる、ということをし始めたんです」 


これから先も活動を続けていきたいという胸の内を、丹野さんはこう話します。 


「1人の当事者が笑顔になるために、もっともっと応援し続けたいですね。サポートをする当事者は、皆を元気づけながら実は自分も元気をもらっている。そういう相乗効果があるんです。だから、皆、楽しいと言うんですよね。そして、まだまだ重度の認知症のことしか知らない人がたくさんいるので、そうではないということを伝えていけたらいいなと思っています。 当事者の方たちに伝えたいのは、あきらめないでほしいということ。家族のことを大切だと思うなら、家族の言う通りにしてあきらめるんじゃなくて、自分が元気になって家族を楽にさせたほうがいい。それには失敗やリスクもあるけれど、それを自分で受け入れて自分で決めて行動すれば、最終的に家族が楽になるし、家族が笑顔になるんです」 


丹野さんが、今のコロナ禍でも活動を止めることなく続けている理由は、コロナより、当事者同士が会えないことのマイナス面を憂慮しているからです。


「認知症と診断されると、家から出なくなったり、笑顔を見せなくなったりする当事者が少なくありません。今、世の中はコロナ禍ですが、当事者が他の当事者に会えなくて鬱になることのほうが、コロナよりも心配です。もしこのまま会えない状態が続いたとしたら、コロナ禍が明けた時には、会おうとしても会えなくなっているでしょう。 だからこそ、今も当事者同士が会う機会を作り続けています。本当に状況が厳しいときはオンラインで開催していますが、マスクの着用や密を避けるなどの感染対策をしながら常に会える方法を考えていますね。当事者の皆さんも変わりなく参加しています。もちろん自粛している当事者もいますが、自分で決めていることなので尊重したいと思っています。 


それに、自分自身、人と関わるのが好きだし、人と関わっているときが楽しいんですよね。いちばんはやっぱり、皆とお酒を飲んでいるときが楽しいかな(笑)」


取材・文/荒木晶子 構成/山本幸代(SOMPO笑顔倶楽部) 

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