{{ header }}
{{ body }}
スキップ
2022.07.14

【若年性認知症当事者 下坂厚さんインタビュー】大好きな写真で、認知症当事者として今の思いを発信

下坂厚さんは、46歳のときに若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。「人生が終わった」というくらいの深い絶望を味わい、生きる気力もなくす中、人との出会いが人生を変えてくれたといいます。高校生の頃から趣味として続けてきた写真をSNSで発信しながら、認知症の啓蒙活動を続けている下坂さんにお話を伺いました。


※写真はすべて下坂さん提供


下坂厚さん

京都府京都市在住。2019年8月、若年性アルツハイマー型認知症と診断される。現在は、京都市の介護施設に正職員として勤務。認知症当事者として、SNSで趣味の写真を発信し、当事者以外にも大きな反響を呼ぶほか、認知症の啓蒙活動も展開中。ホームヘルパーとして働く妻と2人暮らし。著書に『記憶とつなぐ 若年性認知症と向き合う私たちのこと』(双葉社)がある。


下坂さんInstagram https://www.instagram.com/atsushi_shimosaka/?hl=ja

Facebook https://www.facebook.com/atsushi.simosaka


正職員として週5日勤務。休日にはイベントや講演、趣味の写真などを通じて認知症の啓蒙活動も

下坂さんは現在、京都市右京区の「西院デイサービスセンター」で正職員のケアワーカーとして勤務しています。朝は送迎車に添乗してデイサービスの利用者さんを迎えることから始まり、入浴の介助をしているうちに午前中が終わります。その後も、昼食時の食事介助やトイレの介助、レクリエーションでゲームをしたりなど、慌ただしく1日が過ぎていきます。土日が休みになるとは限らず、年末年始の休みもないため、とても忙しい仕事ですが、貴重な休日には、認知症の啓蒙活動としてイベントや講演などに出演するなど、活動的な毎日を送ります。

「レクリエーションのゲームで点数が数えられなかった、ということもありましたが、スマホのメモを活用したり、他の職員さんにサポートしてもらったりして、これまでやってきました。これからもできるところまで頑張りたいと思っています」


そんな下坂さんの高校生のころからの趣味は、写真を撮ること。一時期は、クリエイター集団にサポートメンバーとして参加。取材に同行し、プロのカメラマンとして活動していたこともあります。その後も写真を趣味として続け、今は、認知症の啓蒙活動の一環として、SNSに写真を投稿しています。今年3月には、京都市の京セラ美術館で、初の写真展「記憶とつなぐ ある写真家の物語」も開催されました。

希望に満ちあふれた時期にアルツハイマー型認知症と診断、絶望の淵に立たされた

下坂さんが若年性アルツハイマー型認知症と診断されたのは、2019年8月、46歳のときです。大手の鮮魚専門店で一緒に勤務していた仲間とともに新たな鮮魚店を立ち上げ、これからいろいろチャレンジしていこう、そんな希望にあふれていた真っ只中での、突然のできごとでした。


「7月ごろから、店に行くまでの道を間違えたり、忘れ物が増えたりして、そのうちに一緒に働いている仲間の名前が出てこなくなりました。これはおかしいと思って受診しました」

若年性アルツハイマー型認知症と診断されたときは、ショックなんていうものではなかった、と振り返ります。


「認知症については、それまで知識がなく考えたこともなかったので、徘徊するとか、身近な人に暴力をふるったり、暴言をはいたりするイメージしかありませんでした。そのうち家族のことも何もかもわからなくなってしまうのではないかとか、始めたばかりの仕事を退職して、すぐに施設に入らないといけないのかなとか、とにかく不安だらけでした。短期間でしたがいろいろ考えて、その月にうちに退職しました。職場に迷惑をかけることは避けたかったですし、変わっていく自分の姿を見られることにも抵抗があったのです」


退職後、下坂さんは働き口を探してハローワークへ行ったものの、十分な対応が得られず、それから何もかもが嫌になったといいます。


「今まで頑張って働いてきた仕事が全部なくなって、新しい仕事に就くこともできず、この社会には僕の居場所がない……。その感覚は、僕に生きる望みを失わせるものでした。家を購入して住宅ローンがあり、一家の大黒柱として経済的に家族を支えていかないといけないのに、それができなくなるふがいなさ。家族に対して申し訳ないと思う気持ち。未来が見えない中で、これからどうなるんだろう、どうしたらいいんだろうという気持ちを抱えたまま、しばらく妻にも認知症のことは言い出せませんでした。


僕は、子どものころから何でも自分で考えて、自分で解決する『自己完結型』の性格で、誰かに悩みを打ち明けたり、頼ったりすることが苦手だったんです。

妻もショックを受けるだろうし、できることなら内緒にしておきたかったのですが、仕事も辞めてしまったので、言わないわけにもいかず……。そのころは、自分が死んで保険金で住宅ローンがなくなるならその方がいいんじゃないかとか、ひたすら一人で思いつめていました」

断るつもりで引き受けた仕事で人生を変える出会いが。人とのつながりが自分を変えた

下坂さんに転機が訪れたのは、若年性アルツハイマー型認知症と診断されてから1年が過ぎた、2019年の10月のことでした。複数の専門家が自立支援のサポートを行う「認知症初期集中支援チーム」の家庭訪問の際、「試しにデイサービスで働いてみませんか」と、仕事の紹介があったのです。


「そのときはとてもそんなことを考えられる状態ではなかったですし、介護の仕事もまったく経験したことがなかったので、正直なところ引き受ける気はありませんでした。ただ、せっかく誘ってくださったのに断るのも申し訳なく、とりあえずやってみてから断ろうと思って引き受けたのです」


その後、現在の勤務先である西院デイサービスセンターで、下坂さんは週に3回アルバイトを始めました。そこで、当時、西院デイサービスセンターの所長をしながら、認知症当事者への独自の取組みやサポートをしていた河本歩美さんと出会ったことが、下坂さんの人生を変える転機となったのです。


「僕は、それまでデイサービスセンターという施設についてほとんど知らなくて、生活のほとんどを職員さんの手を借りて過ごすような、車いすの高齢者の方が来ているんじゃないかと思っていました。ところが、実際にアルバイトを始めてみると、僕の想像とは全然違っていたんです。高齢の利用者さんはとても元気で、皆スタスタ歩いていましたし、何よりもデイサービスセンターに来るのが楽しいという雰囲気でした」


認知症の当事者でもそうでなくても、皆が安心して暮らせる町づくりを掲げ、施設を「居場所」ととらえて活動する河本さんの理念が、デイサービスセンターの雰囲気を明るくし、そんな河本さんの人柄そのものに、下坂さんは影響を受けていきました。


「河本さんからいろいろな活動の話を伺い、そのパワフルさに触れるうちに、ここだったら、認知症の僕にも何かできるんじゃないか、という気持ちが芽生えてきたのです。そこからは目の前の仕事に必死で取り組んでいきました。ただ、やはり初めて取り組む仕事だったので緊張していましたし、80~90歳代の利用者さんと、いったいどうコミュニケーションをとったらいいのかわからず、壁を感じることもありました。先輩の職員さんたちは普通に話しているのに、僕はあいさつ程度しかできなくて。仕事の内容も覚えなくてはいけないことがたくさんあったので、最初のころは自分にはハードルが高いかなと思いました」

周りのサポートを得ながら、毎日一生懸命に仕事に向き合った下坂さん。次第に利用者さんとも自然に会話ができるようになっていきました。とくに80~90歳代の方と接するなかで気づかされることが多かった、と話します。


「その年代の方は、第二次世界大戦を経験されているんですね。だからなのか、歩くのが困難になって不便なことがあっても、毎日平穏に暮らすことができる、それだけで幸せだとおっしゃるんです。それを聞いて、僕はそれまで生きてきた中で、初めて『生きるとは何か』に向き合うようになりました。僕が利用者さんを介護しているようでいて、逆にケアされているような、そんな感覚でした」


気持ちが外に向き始めたころ、河本さんを介して『公益社団法人 認知症の人と家族の会』代表理事の鈴木森夫さんや、認知症当事者で、積極的にさまざまな活動を行っている丹野智文さんとも知り合い、下坂さんの世界はどんどん広がっていきました。

※公益財団法人 認知症の人と家族の会ホームページ https://www.alzheimer.or.jp/


「認知症であっても元気でいられる。そう思わせてくれた方とご縁があったことがありがたいですし、つながりにも感謝しています。魚屋時代の僕は、何でも自分でできて当たり前だったので、人と人とのつながりを少し軽んじているところがありました。もっぱら成果主義だったんです。でも、若年性認知症になっていろいろなことができなくなっていく中で、その価値観がちょっとずつ変わっていきました。できないことだけを見ていても仕方がない。できないことは増えていくけれど、それは仕方ないよね、と思うようになりました。認知症というものにちゃんと向き合い始めたんだと思います。

認知症になる前の自分を考えると、今の自分は考えられないですね。今となっては、こういう自分もあるんだな、と。認知症になってよかったわけではないですが、認知症になって、いろいろなことに気づかされたのは、よかったのかもしれないと思います」

経済、メンタルの両面で認知症当事者への支援は不足。まだまだ課題は山積みの状態

若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けてから、下坂さんは若年性認知症を取り囲む様々な状況に直面してきました。その中でとくに課題だと感じていることのひとつに「経済的な支援」があります。


「国は認知症の早期診断を促しています。若年性認知症は時間とともに進行していく病気なので、とくに早期診断は大切です。でも、若いうちに認知症と診断されたときの一番大きな問題は、経済的なことです。それに対してのサポートがないことは、大きな課題です」


ハローワークに足を運んでも、認知症当事者の利用は前例がないという理由で十分な対応が受けられないことを、下坂さんは身をもって知りました。認知症当事者になったことで、「精神障害者保健福祉手帳」が交付されることもわかりましたが、申請は初診日の6カ月後からのうえ、手帳を持っていることで受けられるサービスは、市バスやタクシー運賃の助成、動物園・植物園・美術館の無料利用などで、現実的に生活を支えるものではありませんでした。


「病気やケガなどでそれまでの生活ができなくなった場合に受け取れる障害年金もありますが、初診日から1年6カ月経過しないと申請することもできないと知りました。働き盛りで発症する若年性認知症の場合、会社に迷惑をかけられないと退職される方が多いものの、住宅ローンを抱えていたり、まだ子どもが小さかったりして教育費がかかることも少なくありません。そうした面でのサポートが不足していると感じています」


また、経済的なことに加えて、メンタル面でのサポートにも課題があるといいます。

「若年性認知症の場合、体は元気なだけに、本人も家族もショックが大きい部分があります。親戚にも地域の人にも知られたくないという思いも強くて、外に出なくなってしまう人もたくさんいます。よく、『若年性認知症は進行が早い』といわれますが、今までしてきた仕事を辞めて引きこもり、自分は必要とされていないとか居場所がない、と思い詰めてしまう状況があることとも関係していると思います。


若年性認知症の当事者が、他の当事者や周りのサポートしてくれる人たちとつながりを持つ。そのための支援も大事ですし、認知症に対する知識不足や偏見が『周りに知られたくない』と思わせてしまう部分もあると思うので、少しずつでもそういうものをなくしていけたらいいと思っています」


魚屋を退職して絶望を味わったのちに、人とのつながりで今の自分があるからこそ、下坂さんはその必要性を強く感じています。

家族や周囲の人にカミングアウトするのはハードルが高い。でも、オープンにした先にはきっといいことが

若年性認知症当事者にとって、認知症になったことを家族や周囲の人に伝えることは大きなハードルです。下坂さんは自身を振り返り、こう打ち明けます。


「診断を受けたあと、しばらくしてからも、家族や親せきにはなかなか言い出すことができませんでした。なりたくてなったわけじゃない。でも、『悪いものになってしまった』という感覚があって、言い出すのには勇気がいりました」


自分が若年性認知症になったことは、できるだけ知られたくない。そう思っていた下坂さんがオープンにしようと思ったきっかけは、やはり河本さんとの関わりで生まれました。河本さんを通じて、『認知症の人と家族の会』の会報誌『ぼ~れぽ~れ』の認知症当事者を紹介するコーナーに出てもらえないかというオファーがあったのです。


「会報誌には実名で載るので、それをOKするということは、若年性認知症の当事者であると公表することになります。ですから、OKの返事をしたあとも、本当は少し迷っていました。でも、河本さんと出会って、人とのつながりの輪が広がるとともに、僕の気持ちも前向きになっていたので、最終的に出ることを決意しました」


その後、会報誌を見たさまざまな人が下坂さんのことを知り、下坂さんの元には認知症フォーラムへの参加依頼や、新聞・テレビ・ラジオの取材など、さまざまなオファーが届くように。それとともに、新しいつながりができ、応援してくれる人も増えていきました。


「イベントや講演のあと、参加者の方が書いてくださった感想を見させていただくと、僕たち認知症当事者の気持ちが伝わっているんだなと感じることがあります。そんなふうに、応援してくれる人やわかってくれる人が増えたことで、僕自身、安心感を覚えるようになりました。一歩踏み出すのはしんどいけれど、踏み出してみたら、いいことがたくさんあります。だから、同じ認知症当事者の仲間には、踏み出してみてくださいと言いたいですね」


また、一番身近な存在である家族との距離感や接し方については、自身の経験からこんな思いが。


「認知症と診断された当初は、僕はもちろん、一番身近な妻にも戸惑いがありました。最初のころは、介護する側とされる側という感じで、妻が先回りして何でもやってしまう時期がありましたが、お互いに若年性認知症というものを受け入れ、慣れていく中で、今のような程よい距離感ができてきました。家族はいろいろ良かれと思ってやっているのだと思いますが、認知症当事者からすれば、過保護すぎる面もあります。認知症当事者は、家族に迷惑をかけたくないという思いが強く、それによって無口になることもあるけれど、何もしゃべれないわけではありません。周りの人はその人の力を信じて見守る。それが、お互いにとって一番いいと思います」

認知症当事者として、写真家として、今の思いを伝えたい

SNSでの発信、写真展の開催など、写真家としても活動を続けている下坂さんですが、実は認知症と診断されてから一時期、写真を撮ることさえできなくなったことがありました。


「それが変わったのは、デイサービスで働くようになって、認知症当事者として、自分にも何かを伝えることできるんじゃないかと思うようになったからです。僕が感じたように、悩み、苦しんでいる認知症当事者がいるなら、その人たちのために自分にもできることがあるかもしれない。そう思ったとき、僕にしかできないことは何か? と考え、好きな写真で思いを伝えることを思いつきました」


撮影した写真はSNSに投稿し、「♯認知症」「♯若年性認知症」「♯アルツハイマー」などのハッシュタグとともに、認知症当事者の日常が垣間見えるような短いメッセージが添えられています。

「以前はきれいな景色を撮ることが多かったのですが、最近は人物を入れて撮るように変わってきました。人と人が仲良くしている、何げない日常です。いつまでも、自分もそうありたいという思いが、そうさせているのかなと思います」


これからも写真を撮り続けていき、また写真展を開催したいと語る下坂さん。


「認知症でも写真が撮れるんだ、とは思ってほしくなくて、認知症になる前から得意だったことを活かしていると思ってもらえたらいいですね。

将来的には、写真集も出せたら……という希望もあります。いい写真だなと写真集を手に取ってもらい、そこから僕のことや認知症のことも知ってもらえたらいいですね」

取材・文/荒木晶子 構成/山本幸代(SOMPO笑顔俱楽部)


関連記事

毎日の記憶をつなぐフォト日記~若年性認知症当事者の日常~

・若年性認知症(若年性アルツハイマー)とは? 原因や症状、治療法を紹介

・若年性認知症当事者が仕事を続けるためには?支援と就労問題への課題

【認知症当事者の体験談 まとめ記事】~当事者が語る、認知症との歩み~

認知症は、「100人いれば100通りの症状がある」と言われています。一人ひとり、症状が異なるため、発症のきっかけや症状の変化、日々のケア方法なども異なります。 本記事では、認知症当事者の方々のさまざまな体験談を紹介します。日々の予防やケア、認知症の当事者の介護の参考にしてみてください。

楽しく、あたまの元気度チェック(認知機能チェック)をしましょう

あたまの元気度チェックへ

メール会員のおもな特典

メール会員には、「あたまの元気度チェックの結果記録」に加え、以下のような特典があります。

身長や体重・運動習慣等を入力するだけで、将来の認知機能低下リスクをスコア化できます。

認知症や介護に関する最新のニュースやお役立ち情報を月2回程度お知らせします。

関連記事

  • 認知症知識・最新情報
  • 【若年性認知症当事者 下坂厚さんインタビュー】大好きな写真で、認知症当事者として今の思いを発信