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「認知症の人と家族の会」代表、鎌田松代さんのポートレート画像
2023.08.02

「認知症の人と家族会」新代表インタビュー(前編) 鎌田松代さんと認知症の歩み

「認知症があっても安心して暮らせる社会」を目指して、1980年に発足した「認知症の人と家族の会」。認知症になった当事者や家族が、社会の中で孤立することなく、お互いに支え合うための組織として、さまざまなサポート体制をはじめ、情報発信や啓発活動にも力を入れています。現在、47都道府県すべてに支部があり、会員数は9700人を超えます。2023年6月に新代表に就任した鎌田松代さんに、ご自身のこれまでの歩みや、家族の会との出合い、今後の展望などについてお話ししていただきました。


認知症の人と家族の会

代表 鎌田松代さん

佐賀市生まれ。看護師として滋賀医科大医学部付属病院や特別養護老人ホームなどで勤務。1990年代に「認知症の人と家族の会」に出会い、2019年に事務局長就任し、2023年6月からは代表理事を務めている。

https://www.alzheimer.or.jp/


目次
・「人の役に立つ仕事がしたい」介護の経験を活かして在宅分野へ
・在宅分野の看護は社会を下支えするインフラ
・父と母が認知症に 遠距離で介護を続ける
・本当の意味で「認知症の人と家族の会」の一員になれた


「人の役に立つ仕事がしたい」介護の経験を活かして在宅分野へ

――鎌田さんはもともと看護師として働かれていたそうですね。

地元にある佐賀県の看護学校で学び、卒業後は滋賀医科大学医学部附属病院に勤務しました。最先端の医療を提供する大学病院で、私は脳神経外科や整形外科を担当しました。その後、義理の父が脳出血で倒れて高次脳障害になったことで、介護に専念するために退職。父の介護や子育てが落ち着いたタイミングで、在宅分野の看護師として仕事に復帰しました。


復帰後は、保健所での訪問看護や宅老所(高齢者向けに介護サービスを提供している小規模な施設)でボランティアスタッフのコーディネートなどを経験し、デイサービスで看護をするようになりました。在宅分野では、ちょうどデイサービスやショートステイといったサービスが拡大していった時代。社会におけるニーズが高まっているのを感じました。


――看護師になろうと思われたのはなぜですか。

母からの期待があったのが理由の一つですね。母は結婚して専業主婦になったことで、自分の能力を十分に活かせなかったという思いがあったようで、子どもには何か能力を見つけて、それを発揮してほしいと考えていたのです。だから、私も1歳年下の弟も「勉強せえ、勉強せえ」とよく言われました。私は、そんな母の影響を受け、手に職をつけたいと思い、看護師になろうと決めました。


また、人の面倒をみることがとても好きだったのも、看護師の道を選んだ理由です。年の離れたいとこの面倒をよくみていました。お節介焼きな性格なのでしょうね。それもあって「誰かのお世話をすることで人の役に立てる仕事がしたい」と思っていました。その思いは、今も変わらず持ち続けています。


――仕事に復帰される際に、なぜ在宅分野での看護を選ばれたのでしょうか。

義理の父の介護をした経験からです。大学病院に勤務していた頃、急性期治療を終えた患者さんたちは地域の病院に転院してリハビリをされることが多かったのですが、その後、ご自宅に戻ったあとの生活がどのようなものか、当時の私はよくわかっていませんでした。でも、義父の介護を経験したことで、ご自宅に戻った患者さんたちがどんな生活をされているのかが、わかったのです。正直、「こんなに大変だったのか……」と衝撃を受けました。


義父は、はじめは私が勤務していた大学病院でリハビリを受けていたのですが、ある程度回復したところで京都の両親の自宅で看ることになりました。当時は、「嫁が介護をするのは当たり前」という風潮もあり、私も迷うことなく看護師の仕事を辞めて、義母と一緒に義父の介護をしました。ただ、滋賀から京都へ移住すると、周りには知り合いもいない孤立無援の状態。さらに途中で2人の子どもを出産したこともあり、4年に及んだ介護生活はとても大変でした。だからこそ、看護師として仕事に復帰するとしたら、在宅分野の看護に携わりたいと思ったのです。


在宅分野の看護は社会を下支えするインフラ

――ご自身の介護経験は、在宅分野の看護でどのように活かされたのでしょうか。

介護の大変さがわかるからこそ、少しでもご家族が楽になるようにと考えることができました。義父の介護では、昼夜逆転の生活でとにかく眠れないのがつらかったので、私がデイケアでご利用者さんを看るときには、施設にいる間、ご本人にできるだけ起きていていただくように工夫をしました。昼間にしっかりと起きていれば、夜には自然と眠くなり、ご家族を起こす回数が減るからです。「昨日寝ていないんです」とご家族から言われたら、「任せておいて」と。


デイケアの時間は、ご家族にとっては介護から離れて休める時間です。だから、その時間でご家族が休むことができて、元気を取り戻した姿を見ると、とても嬉しかったですね。


――特別養護老人ホームでの看護もご経験されたと伺いました。

デイサービスの看護で在宅分野に足を踏み入れてからは、ご家族が自宅で介護できなくなり、特別養護老人ホームに入所される方を多く見てきました。そうした入所施設でショートステイを体験された方たちのご家族は、皆さん『本人は嫌がっていたけれど、でも仕方なく行くことにした』とおっしゃっていたので、どんなところなのか知りたいという気持ちがありました。それで、入所施設で働くことにしたのです。


その施設では、認知症の方だけでなく重度の障害者や難病の患者さんの看護も経験しました。在宅分野の看護に関わるようになって30年以上になりますね。


――それだけ長い間、看護のお仕事を続けてこられて大変だったのではないでしょうか。

もちろん大変なこともありましたが、でも離れようとは全く思いませんでしたね。やればやるほど奥が深いところに魅力がありましたし、それに介護や福祉の現場で看護が果たす役割はとても大きいと感じていました。皆さんが安穏に過ごすための下支えになる。まさに社会のインフラのような仕事だと思っています。


――鎌田さんが「認知症の人と家族の会」の活動を知ったのはいつ頃ですか?

義理の父の介護を終えて、在宅分野の看護を始めた1990年頃です。認知症の方のご家族と知り合ったことがきっかけで、「認知症の人と家族の会」の活動を知りました。そのときの私は認知症のことをまるでわかっていませんでした。看護教育で学ぶのは成人看護。老年介護や、ましては認知症については勉強する機会がなかったのです。今思うと恥ずかしいのですが、「物忘れだったら、教育すればいいだろう」くらいに考えていました。でも、どうやら違うと気付き、認知症について知りたいと思うようになったのです。


当時は認知症の人が利用できるデイサービスがなかったので、京都市の社会福祉協議会が「認知症の人と家族の会」と一緒に宅老所を開設しようと動いているところでした。そこでボランティアを募集していたので、応募したのが、家族の会の京都支部の人たちとの出会いです。


――会の活動を知り、どんな印象を受けられましたか。

開設された宅老所は、認知症のなかでも中等度の方たちが利用されていました。そのため、乱暴な言葉を発したり、ひとり歩きをしたり、気持ちが理解されないと手で言葉を遮ろうとしたりといった認知症のBPSD※が出ている方たちばかりでした。その方たちに対して、支部の皆さんは、とても寄り添った介護をされていたんです。「なんてすごい人たちなのだろう」と思ったのを覚えています。それで、すぐに入会しようと決めました。

※BPSD…認知症の行動・心理症状のことを指し、不安・抑うつ、徘徊、弄便、幻覚、暴力や暴言など、さまざまな症状があります。

父と母が認知症に 遠距離で介護を続ける

インタビューに答える「認知症の人と家族の会」代表 鎌田松代さん

――その後、実のご両親が認知症になられたそうですね。

2004年に父が、2008年に母が認知症の診断を受けました。それまで「認知症の人と家族の会」の活動で、多くの認知症の方と関わってきましたが、両親が認知症になったことは全く違う経験だと感じました。


――具体的にどのような違いがありましたか。

認知症で施設に入所されたり、デイサービスを受けられたりする方たちは、すでに症状が悪化している状態でいらっしゃいます。もちろん、その方が認知症になる前にどのような生活をされてきたのかはお聞きしますが、あくまでも想像することしかできません。しかし、自分の親であれば、元気なときの様子を知っています。だからこそ、認知症によって判断力が低下し、できなくなっていくことが増えるのを近くで見るのはつらいものがあります。


私の場合、初めに父の異変を感じたのは、ちょっとした違和感からでした。例えば、制限速度よりもはるかに遅い速度で車の運転をしていたり、農業を営んでいた父が、翌年の田植えの準備をするための苗の作付けを計算できなくなったりしていたのです。家族の会の佐賀県支部のメンバーに近くの病院を紹介してもらい受診したところ、認知症と診断を受けました。


――そのときはどんなお気持ちでしたか。

何かあれば支えてくれた「親」という存在に、もう頼れなくなる。その喪失感は大きかったですね。当時、父は72歳でまだ若かったこともあり、「苦労してきた父がなぜこんなことに」という腹立たしさもありました。父と同じ年代の男性を見ると、悔しくて涙が出ることも。今考えると、それは認知症への抵抗感ではなく、認知症になったことで不自由な生活を送らなければならない父をかわいそうに思っていたのだと思います。農業がとても好きだったのに、それもできなくなってしまう。父が父らしく生きられなくなるのではとショックでした。


私は京都に住んでいたので、父が認知症と診断されてからは毎月、佐賀の実家に帰って両親を手助けするようにしました。父と母の介護を合わせると、その生活は11年続きました。両親の介護生活をしている間、私を支えてくれた夫にはとても感謝しています。


――お母様が認知症になられたときは、どのような状況だったのでしょうか。

母の期待を受けて看護師になったこともあり、私の仕事を一番評価してくれていたのが母でした。私が施設の管理職に就いたときも、とても喜んでくれていました。私が困ったときには絶対に助けてくれる。そんな母が認知症になり、意味がわからないことを言ったり、乱暴な言葉を発したりするようになったのです。


母にはそれまで本当に助けてもらっていたので、「母が困っているのに、私は他の人の世話をしていていいのだろうか」と、遠距離での介護に迷いを感じるようになりました。仕事を辞めて、母の近くで介護をしたほうがいいのかもしれない、という考えも浮かびました。


――どのように気持ちを整理されたのですか。

「認知症の人と家族の会」の人たちに相談すると、「仕事を辞めて、お母さんは本当に喜んでくれるのかな」と言われました。確かに母は、どんなに父が大変なときでも、私の帰り際には「気を付けて帰りなさい」と送り出してくれていました。自分の認知機能が衰えて、生活に困っていただろう時期でも、一度も「もう帰らんといて」とは言わなかったのです。


自分に置き換えてみると、母の気持ちがわかるような気がします。私には娘が2人と息子が1人いますが、子どもたちが好きな仕事を辞めてまで、自分の介護をしてほしいとは思いませんから。もしかしたら母も同じで、私が仕事を辞めることを喜ばないのではないか。そう考えて、できるだけ頻繁に帰りながら、遠距離で介護を続けていくという選択をしました。ただ、その選択で本当に良かったんだろうかという思いは、今でもあります。


本当の意味で「認知症の人と家族の会」の一員になれた

「認知症の人と家族の会」代表、鎌田松代さんのポートレート画像

――ご両親が認知症になったことで、「自分がずっと頼りにしていた人に頼れなくなってしまった」という喪失感を、どのように乗り越えられたのでしょうか。

父や母の介護で実家に帰り、自分の自宅に戻るのはいつも終電でした。夜の8時に出る佐賀発の特急に間に合うようにと、駅まで30分の道のりを自転車で必死に走って行く。私自身も介護に疲れ果てていました。でも、そのときにふと思ったのが「父や母は、自分なりにできることを一生懸命にやっているのだ」ということでした。できないことは増えているけれど、それでも二人は自分にできることを頑張っているのだと。


ある時、母とケンカをしたことがあります。冷蔵庫に野菜が入れっぱなしになっていて、腐りかけているのを見つけたので、「捨ててもいい?」と聞くと、母がすごく怒ったんです。なんでそんなに怒るんだろうと思い、よくよく考えてみると、母は母なりに一生懸命やろうとしていたのに、私から「できていない」と突き付けられたことに怒りが湧いたのではないかと。介護をしていると、ついできないことにばかり目を向けてしまいますが、「父も母も頑張っている」と思えるようになり、自然と私の気持ちも切り替わっていきました。


――ご両親が認知症になられたことで、「認知症の人と家族の会」との関わり方も変わりましたか。

やっと仲間になれた、という思いはありました。それまでも認知症の人やそのご家族のために少しでもお役に立てればと活動をしてきましたが、やはり話を聞いたり、体験記を読んだりするだけではわからないこともあります。自分が介護を経験したからこそ、ご家族の気持ちが実感としてわかるようになりました。会のメンバーからは「これであんたもほんまもんの会の人になったな」なんて、冗談を言われています。

(後編に続く)


文/安藤 梢 取材・構成・撮影/SOMPO笑顔倶楽部


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