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2020.11.27

【介護体験談 vol.2】「ピック病」の母の思い出

公益社団法人 認知症の人と家族の会が発行する会報誌『ぽ~れぽ~れ』より、家族介護者の体験談記事「支部だよりにみる介護体験 北から南から」をご紹介します。今回は、2005年、母親が前頭側頭型認知症の一種、「ピック病」と診断された川島さんの体験談です。感情のコントロールができない母親に対し、無我夢中で介護をした時期もありましたが、後半は一緒に童謡を歌ったり、発病した頃には考えられない穏やかな生活を共に過ごした川島さん。当時の日々を振り返っていただきました。


母が旅立って1年が過ぎて

平成31年4月に母が天国に旅立ってから1年が過ぎました。母の部屋は介護用ベッドがなくなっただけですべてそのままです。箪笥や押し入れの中を片付けようと服等を出すたび、母の匂いがして涙が止まらなくなり一向に片付きません。


母の異変に気付いたのは、2005年の頃。非常に起伏が激しくなり、目を三角にして怒り狂い、また魂が抜けたようにボーっとしていたり……。受診の結果、前頭側頭型認知症の一種の「ピック病」と言われました。人格が崩れ、進行が早く、最後は廃人になる。介護が難しく家で看るのは無理だからと精神科の病院への入院を勧められました。一般病院と違い、精神科の病院は薬を多く出せるから静かになりますと言われ私は決心したんです。大切な母は自宅で看ようと。



無我夢中の在宅介護

初期の頃は、記憶力が保たれ物忘れも無く文字も達筆でこれが認知症なの?と思っていました。しかし、次第に本を読んでも理解が困難になり、ますます感情のコントロールもできなく、道徳上の社会通念も分からなくなりました。突然激怒して騒ぎ出し、そのたび、私は外へ逃げて母の気持ちが静まるのを待っていました。別人のようになる母のことを主治医に聞き、本を読み、それでも対応策が分からず、自分で気が付かないうちに私自身がうつ病になっていました。母の診察のたびに病気の説明を受けたからか、母を連れて死にたいという思いはいつの間にか消えていました。数年たった頃から、母は穏やかになり普通の生活を送ることができるようになりました。平成23年、震災の1カ月前に、2泊3日のショートステイから帰ってきた母は、車イスに乗せられ、立つことも歩くこともできなくなっていました。動くのは、首と右手だけですべて介助が必要になり、盆も正月もなく看護師さんやヘルパーさんが毎日数時間おきに来てくれましたが、大量に出る洗濯物と格闘をしていました。


瞼に浮かぶ母の笑顔

医師の指導で作った食事のお陰か8年間寝たきりでも、床擦れもなく血液検査も良好。「私、百まで生きるからね、ありがたいありがとう」が母の口癖でした。一緒に童謡を歌っては、楽しいねえと言ったり、発病した頃には考えられない穏やかな生活でした。


発病して15年が過ぎた頃から自然と食が細くなり、98歳の誕生日を目前にして旅立ちました。後半はいつも「私は幸せだー」と言っていたので母なりに本当に幸せを感じていたのだと思います。「ピック病」の診断を受けた人が少ない為か、病気のことを知らない方が多く、特有の言動や行動等を理解してもらえないことが多々あります。特にヘルパーさんや施設の方に「ピック病」を理解していただけたら、本人も介護者も救われると思います。


今、瞼に浮かぶのは「楽しいねえ」と言っている母の笑顔です。


【介護体験談 まとめ記事】~家族介護者が語る、介護の不安・苦労・喜び~

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