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蛭子能収さんとマネージャー森永さんのポートレートイメージ
2024.01.15

蛭子能収さんとマネージャー森永さん 認知症と共に生きる2人の関係性

2020年、番組内で認知症(レビー⼩体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症)であることを公表した蛭子能収さん。現在も少しずつ症状が進行していますが、本人の希望から、漫画連載や絵の仕事などを続けています。


そんな蛭子さんを支えるのは、19年間マネージャーを担当している森永真志さんです。休日も一緒に過ごすほど仲が良く、今も漫才コンビのように息ぴったりな2人。

認知症と共に生きる、2人の関係性に迫ってみました。


蛭子能収さん
漫画家・俳優
1947年(昭和22年)10月21日生まれ。長崎県出身。看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、1973年、漫画家としてデビュー。1986年劇団東京乾電池公演「台所の灯」に参加し、芸能活動を開始。2020年認知症を公表。2023年9月には絵画の個展を行う。

森永真志さん
2004年より蛭子能収さんのマネージャーを務める。認知症の父の介護経験を活かし、蛭子さんの仕事をサポートしている。


目次
・「競艇で勝ったあの日、蛭子さんがごはんを奢ってくれた」
・認知症になっても働き続ける蛭子さん
・認知症だった父の介護経験を活かして
・認知症になった蛭子さんの心の中
・「僕にとって、森永さんは“普通の人”」


「競艇で勝ったあの日、蛭子さんがごはんを奢ってくれた」

インタビューに答える蛭子能収さん

── まずはじめに、お2人が出会った当時のお話を聞かせてください。お互いにどんな印象や思い出がありますか?


蛭子さん(以下、蛭子):あれ?いつ会ったんだっけな……。


森永さん(以下、森永):もう19年経っているんですよ。


蛭子:そうだっけ?


森永:そうですよ! 当時は、蛭子さんの仕事が1週間のうち1日しかないこともあって。「蛭子さんって、外から見ていたら忙しいイメージだったのに意外と暇なんだ」と思ったのが最初に担当したときの印象ですね(笑)。


蛭子:いや、仕事がないと言うけども、結構ね……。


森永:漫画やイラストの仕事はたくさんしてましたね。10社とか12社とか。


蛭子:そうそう。


── 昔はよくプライベートも一緒に過ごされていたそうですね。


蛭子:そうなんですよ。


森永:競艇のイベントが月1、2回あったので、よく一緒に行ってましたね。僕は、競艇のことを全然知らなかったんですけど、蛭子さんについて行って覚えたらハマっちゃって。


蛭子:でも競艇ばっかりやっていたら、やっぱりおかしくなっちゃうから。


森永:それはもっと早く気づいたほうがよかったですね(笑)。

昔は、蛭子さんが競艇で勝ったら、僕にごはんをおごってくれたんですよね。10万円勝ったら1万円くれたこともありました。マネージャーにお金をあげるタレントはいないですよ。


蛭子:へへへ。


森永:僕も競馬で勝ったら、お昼をおごったりしてましたよね。覚えてますか?


蛭子:それは忘れてた。


森永:覚えておいてください(笑)。


── (笑)。


森永:その後、蛭子さんが認知症になってから平和島の競艇場に連れていっても、以前のような高揚感が見えなくなったんです。本当に興味がなくなったんだなと驚きました。


蛭子:え、そう?最近?


森永:最近です。「あんなに競艇に使ってなければもっとお金が残っていたのに」と言ってましたよ。


── 蛭子さんは、今でも「競艇をやりたい」という思いはありますか?


蛭子:あります。


森永:あるんですか?ずっとやってなかったらあるんですね。


蛭子:そうですよね。なにしろ、おもしろくない……。「ここの海を歩いてみたい」とか。


森永:競艇場の景色を見たいんですね。蛭子さんは、昔から景色の良いところが好きなんですよ。


蛭子:うん、好き。


認知症になっても働き続ける蛭子さん

インタビューに答える蛭子能収さん

── 2018年頃から、蛭子さんに認知症の症状が出はじめたそうですね。当時の様子を聞かせてください。


森永:蛭子さんは、もともと人の名前とか日時や曜日とかに興味がない人なので、認知症との境目がわからなかったんです。「とにかく、今ある仕事をしてお金がもらえれば良い」という人だったので、仕事が終わった後に「今日の番組なんだったっけ」というやり取りも、日常的にあったんです。それに、カメラがあると「仕事なんだ」と分かるのか、昼間はすごくシャキッとしていたので、認知症を疑うことはありませんでした。


でも、あるとき、奥さんに帰宅後の様子を聞いたところ、夜に何度もトイレに行ったり、急にトイレの場所がわからくなったりしていたそうです。それで「そんなに昼と夜の差が激しいのか」と。その後、SNSで変に書かれたりするより、公表した方がいいだろうと、2020年にテレビ東京の「主治医が見つかる診療所」で公表しました。


── 認知症公表後、仕事をするうえでの変化や工夫したことがあれば教えてください。


森永:認知症である時点で、できる仕事とできない仕事が如実に判断できるので、それは選別していました。


── どう選別していたんですか?


森永: テレビでは時々「食べているものが爆発する」とか無茶な企画もあるんです。そういうのは、のどに詰まったり、パニックになったりするので危ないな、と。ドッキリ系の番組も、趣旨がわからなくなるかもしれないので断っていました。あと生放送の仕事は、予想外のことが起こって見ている人がびっくりするかもしれないので厳しいかな、という感じですね。


基本的に僕が選別して、微妙なものは奥さんに企画書を送って確認してもらったり、事務所の社長にも相談していました。


── 逆に続けてきた仕事というのは?


森永:漫画や絵の仕事ですね。あとは今回のような認知症関係の取材とか、YouTubeでお医者さんと話す仕事も。以前は、競艇のイベントの仕事も受けていたんですが、予想ができなくなってしまったり、マークシートが書けなくなったりしたので、最近はやってないです。


── 今、漫画や絵の仕事は、どの程度続けているんですか?


森永:漫画はサンデー毎日さんの連載を続けています。漫画はサンデー毎日さんの連載を続けています。蛭子さんが断片的に話すのを、口述筆記みたいな感じで編集者の方がまとめてくれています。


絵の仕事は、ここ数年で新作の絵を描いて、2023年9月に「最後の展覧会」を開催しました。作品は全部売れましたよね、蛭子さん。覚えてます?


蛭子:それは本当に自分でもうれしかったです。


森永:蛭子さんを慕っている芸能人の方もたくさん来て、買ってくれたんですよ。10~80万円の絵が19点すべて売れたんです。


蛭子:へへっ。でも、ずっと、悪いな、悪いなと。


森永:絵の金額が高いから?


蛭子:お金がちょっと……そうですね。


── 蛭子さん、ずっと働き続けたいですか?


蛭子:はい、そうしないと、先に立ったものが行くというか……。


森永:自分に先立たれると奥さんが困ってしまう、という意味だと思います。


蛭子:そうそう。


──いつ頃まで働きたいですか?


森永:今、何歳かわかりますか?


蛭子:今……59?


森永:だいぶ若返りましたね(笑)。蛭子さんは今、76歳です。


蛭子:あ、そんなになる?


森永:でも、今は人生100年時代って言われているので、あと24年頑張れますよ。


蛭子:へー、そうなんですか。


認知症だった父の介護経験を活かして

インタビューに答えるマネージャー森永さん

── 森永さんは、蛭子さんと一緒に仕事をするうえで工夫していることはありますか?


森永:移動中は、少しでもテンションを上げてもらえたらと、蛭子さんが好きな佐良直美さんや美空ひばりさんの歌を流しています。それだけで、蛭子さんはやさしい顔になるんですよね。


ほかにも脳トレのようなやり取りをするようにしています。基本的に芸能人の名前は覚えないんですけど、名字を言ったら名前を言える人もいるんです。

たとえば「リリー」。


蛭子:「フランキー」。


森永:こうやって出てくるんですよ。昔、競艇をやっていたときは「桐生」といったら「順平」とか、競艇選手の名前は言えていたんです。


── そういった方法はどうやって知ったのですか?


森永:僕の父が認知症だったんですよ。父はもう亡くなってしまったんですが、その経験が活かせたところはあります。父は認知症になって、ずっと無気力になっていました。でも、蛭子さんは、「ずっと仕事をしたい」と言っているので、認知症でもいろんなタイプがいるんだなと感じています。父は激昂型だったんですけど、蛭子さんはまったく怒らないし。

やさしいですよね、蛭子さん。


蛭子:やさしいです。


── 蛭子さんをサポートするうえで、大変な局面もあると思います。


森永:そうですね。現場によってはサンデー毎日さんの編集者の人に同行してもらったり、衣装さんや他のマネージャーにも頼んだり、僕1人で抱え込まないようにしています。4、5人でサポートしないと難しいですね。まずは自分に余裕がないと。


蛭子:そう、俺も本当に思う。


森永:そう思ってるんですか?


蛭子:本当に思ってます。


森永:蛭子さんが「働きたい」と言ってくれて、ありがたいことに仕事の話をいただけるので。ただ、僕は蛭子さん以外にも俳優を10人ぐらい担当しているんです。なので、まずは僕が倒れないように頑張っています。


── 森永さんは、ご自身の心身を保つために心掛けていることはありますか。


森永:難しいですよね。時々僕が車を運転していると、蛭子さんがぼそっと、つぶやくんです。


「ごめんね」と。


僕が他の仕事を溜め込んでイライラしていると、余裕がない僕の気持ちを察するのか……。それで逆に申し訳なくなって、我に返ることがあります。そういうふうに言ってくれるのが蛭子さんのやさしさなんですよね。


── それは認知症になっても変わらない部分ですね。


森永:そうですね。昔から後輩に対しても敬語でしたし、気遣う人なんです。そういう蛭子さんの人徳があってこそ、今また、みんなが支えてくれるんだと思います。


認知症になった蛭子さんの心の中

インタビューに答える蛭子能収さん

── 蛭子さん自身、認知症になって困ったと感じることはありますか?


蛭子:認知症で困ったこと……お金に負けることですよ。


森永:お金を自由に使えなくなったことですか?


蛭子:そうそう。


森永:今、蛭子さんは、財布を持たないようにしているんですよね。だから、自分でお金を持ち歩いて使いたい、という思いが心の奥深くにあるのかもしれません。

蛭子さんは、もともと財布を持たず、ポケットに直でお金を入れていたんです。それで、僕によく飯代を払ってくれました。いまだに外でご飯を食べると「ごめん、今日おごれないよ」って言うんですよ。自分でお金を払いたいのかもしれないですね。


──では、 蛭子さんは今、なにをしているときが一番楽しいですか?


蛭子:そうですね、なにが楽しいかな……。楽しいことがなくなっていくんですよね、どんどん。


森永:食事とかですか?


蛭子:食事は楽しみです。いっそのこと、みんな、俺が食べてるシーンを「蛭子さん、この食べ方はバカだ」とか、笑ってほしいです。


森永:食レポをしたいってことですか?


蛭子:そうなんですよ。


森永:じゃあ、食レポの仕事を取ってきますよ! その代わりにうまいこと言ってくださいね(笑)。

でも、昔は食レポが一番苦手だったんです。「バス旅」では、その土地のものを食べないでカレーやラーメンばっかり食べていたんですよね。そういう負い目があるから逆に今やりたいんですね。


蛭子:そうそう。だって、太川(陽介)さん※2に「これをください」って言っても、それは否定されて……。

※太川 陽介さんは、TV番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」内で、蛭子さんと一緒に全国各地を旅するパートナーだった。


森永:蛭子さんの提案は却下されていましたね(笑)。そういう太川さんとのやりとりが大好評だったんですよ。再ブレイクのきっかけでしたね。


── そうですね。2人のやりとりは多くの人の心に残っています。蛭子さん、認知症になっても元気でいる秘訣はなんですか?


蛭子元気の秘訣は……、子供たち。俺が行くと、子供たちがバーってやってくるんですよ。


森永:公園が好きで、子供たちを見るのが好きになりましたね。


蛭子:子供たちを見るのは大好きです。


森永:今年放送したNHKの「蛭子能収さんのお絵かき散歩」という番組内で、子どもに絵を描いてあげたとき、急にシャキっとして、昔の画風に戻ったんですよ。あれは衝撃的でしたね。

ほかにも、出演した子どもたちと握手をしていたときに、握手できなかった子供が大泣きしちゃって。でも、その子のところに行ってじゃんけんしてなだめていたんです。昔の蛭子さんでは考えられないですね(笑)。


── そういう変化もあるんですね。では、蛭子さんが今、大切にしているものはなんですか?


蛭子:なにかな……。これ難しいな。


森永:1個出るまで終わりませんよ(笑)。


蛭子:一番大事にしてるもの。……お母さんかな。


森永:多分、奥さんってことだと思います。


蛭子奥さん。女房。


森永:お金、って言わなくてよかったです(笑)。


「僕にとって、森永さんは“普通の人”」

インタビューを受ける蛭子能収さん、森永さん

── お2人はとても長い期間を一緒に過ごされてきました。蛭子さんにとって森永さんはどんな人ですか?


蛭子:森永さんってね……本当に普通の人間。


森永:はっはっは!その通りです。今日一番の答えですね(笑)。昔は「友達」って言われてたんですよ。


── 友達から普通の人になってしまったんですね(笑)。では、森永さんにとって、蛭子さんはどんな存在ですか?


森永:本来ならマネージャーとタレントという関係ですが、僕はあえて今は逆に「友達」と言わせてもらおうかな。


蛭子:ああ、そうですね。


森永:いや、蛭子さん、軽いですね!(笑)。


蛭子:ははっ、これからもよろしくね。



写真/長野竜成、文/市岡ひかり

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