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2022.02.17

【新田恵利さんインタビュー】 「後悔はしたくない」。介護を経験し自身の人生に対してもポジティブに

2014年、突然始まった実母の介護。それからの6年半の間には、ともに暮らす母への思いはもちろん、新田さんの心にもたくさんの変化がありました。介護を経験したからわかったこと、今ひとつだけ「後悔」していること、そして介護生活を送っている方々に伝えたいこととは。


周囲にもいい影響がある「言いふらし介護」でマインドチェンジ

昨年出版した自著「悔いなし介護」をはじめ、これまで自身のブログなどでも、母への思いや介護の現実を赤裸々に発信してきた新田さん。この「言いふらし介護」が、新田さんの介護生活には欠かせないものとなっていました。


「自分が介護に携わるまで、介護って悲しい、つらいといったイメージがあって、とにかく大変なんだろうと漠然と思っていたんです。でもいざ介護をしてみると、デイサービスのスタッフをはじめ、介護職の方々って本当に明るくて、笑顔が多いんです。そういった『明るい介護』もあるという事をみなさんに伝えたいと思ったのが、言いふらし介護を始めたきっかけです。それに、介護ってひとりで抱え込むと、どんどんつらくなっていくけれど、周囲に言いふらしてしまえば、それが笑いに変わることもありますよね。


それでも、介護のことを公表する前は、『母の気持ちを考えると、公にするのはどうなのだろう』と躊躇しました。でも介護は恥ずかしいことじゃないし、自分が今つらいなら、それを打ち明けてしまったほうがいいと思ったんです。それからは物事がいいほうへ、いいほうへ転がっていったので、やっぱり言いふらしたほうがいいんだって感じました。自分自身も楽になれますし、楽になれたことで周囲にもいい影響を与えることができます。同じく介護中の方が、『恵利ちゃんが頑張るなら私も頑張る』とブログにコメントをくださるなど、自分の言葉が誰かの励ましになるのは嬉しかったし、それがまた自分自身の力にもなりました。私はもともと嘘や隠し事が嫌いなのですが、人間はやっぱり、正直なほうがいいんですよね」


明るく、穏やかな笑顔で場を和ませる新田さん。書籍『悔いなし介護』からも、現実と向き合いながら、前向きな気持ちで介護をされていた様子がうかがえますが、実は「もともと前向きなタイプではなかった」といいます。介護を通じてポジティブに物事を捉えられるようになった背景には、どんなことがあったのでしょうか。


「私自身は全然ポジティブじゃなくて、怒りも悲しみも全部、自分で抱えてしまうほうだったんです。主人にも『寝言が100%怒っている内容』と言われてしまうくらい(笑)。でも母がとてもポジティブだったんですね。ある意味能天気な人だったからこそ、介護することによって、私にもそれが伝染したのかもれません。

たとえば2014年の秋、母が寝たきりになったとき、私のなかでは少し諦めの気持ちがありました。でも母は『大丈夫よ、お正月には歩けるから』って言うんです。何の根拠もないんですよ(笑)。でも母は素直にそう思ったんでしょうね。ただ、そのようにはいかず、母が『お正月には歩けない』と泣きながら言うこともありました。そんな母をなぐさめるために、『3月の私の誕生日には、プレゼントとして歩けるようになって』と伝えたんです。そうなればいいなという願望でもあり、母にとっての目標になればいいなと。でも3月になっても歩けなくて。


母は私の主人のことが大好きだったので、『私たちの結婚記念日である、6月までに歩けるようになったら、一緒にご飯を食べにいこう』と提案し、夏にリハビリのための入院をへて、歩くまではいかなかったけれど、寝たきりだった母が、ベッドから車椅子へ自力で移ることができるようになりました。そうやって母と一緒に、『歩ける、大丈夫、頑張ろう』と気持ちを合わせていくうちに、いつの間にか介護に関しても、自分の人生に関してもポジティブになっていったのかなと、今は思います」

写真:新田さん提供


つらいときも大変なときも、みんなで少しずつ我慢

心の準備も知識もないまま、突然始まった介護生活。ほどなくして、実兄が新田さんの家に引っ越し、新田さんとともに介護をすることになりました。2人体制とはいえ、介護は初めての経験。仕事との両立で葛藤することもあったといいます。


「介護が始まると親の死を近くに感じてしまうせいか、とても一生懸命になってしまうんですよね。私も最初は自分の首を、きゅっきゅっと締めていました。でも一生懸命やり続けるのは自分を追い詰めていくだけだし、その結果、嫌な言葉を母に発してしまったこともあったので、やはりうまく手を抜くのは大事だと思います。


ある日、私と兄の仕事の調整がうまくいかず、冬の寒い夜、家に母ひとりというときがあったんです。あらかじめ作っておく夕飯を、冷めた状態で母が食べなきゃいけないことが気になって、どうにかしなきゃとあれこれ考えていたのですが、ふと、『兄も介護で我慢していることがあるし、私も我慢していることがある。介護は家族でするものだから、母にも少し我慢してもらおう』と思ったんですね。母には事情を話し、『あたたかいご飯を出せないけどいい?』って聞いたら『ぜ~んぜん、大丈夫。ご飯を作ってくれるだけでもありがたいよ』って言ってくれて。母も気持ちよく我慢してくれたと思いました。母もふくめ、家族で介護をすると、すごく楽なんだなって感じましたね」

少しだけ後悔も。泣きながら仕上げた母へのエンディングドレス

もともと、とても仲の良かった親子。まだ介護が始まる前のふとした会話がきっかけで、新田さんは、最愛の母が最期を迎えたときのための贈り物を準備しました。


「あるとき母と見ていたテレビ番組で、死装束のことを特集していたんです。最期は気に入っていた着物などをかけて見送るというのは聞いたことがあったので、母に『何か着たいものはある?』って聞いたら、しばらくして『ウエディングドレス』と答えたんですね。母は昭和初期の生まれだから、結婚式はウエディングドレスという時代ではなかったんです。

そのときは『やっぱり女性として、着たいものなんだな』『パーティードレスを売っているお店で、白いものを買えばいいかな』と思うくらいだったのですが、いざ母が弱ってくると、だんだん『ウエディングドレスをどうやって着せるの?』『そもそも誰が着せるんだろう』と現実的なことが気になってきて。いろいろと調べていくうちに『エンディングドレス』というものがあるのを知りました。ガウンタイプになっていて、サイズ感も気にしなくていいんです。私は自己流ですが和裁、洋裁をするので、『私が作ろう』と思い、それからしばらくして作り始めましたが、完成させてしまうと母の体調が悪くなってしまうような気がして、8割くらいのところで止めていたんです。


それから、そのドレスを着せるときがやってきて、最後は泣きながら仕上げました。家族や訪問看護師さんたちが母の体をきれいに拭いて、私が作ったエンディングドレスを着せて見送りました。みなさん『素敵だね』っておっしゃってくださって、私自身も、自分の作ったものできれいにして送ることができたのが嬉しくて幸せでした。ただ唯一の心残りといえば、そのエンディングドレスを母は見ていないんです。もっと早いうちに完成させて見せていたら、『よくできたね』と喜んでくれたと思うので、介護には悔いがないんですけど、看取りにはひとつ心残りがありますね。


今は、『皆さんにも、素敵な形でお見送りをしてほしい』と、エピドレス(エピローグドレス)のブランドを立ち上げるために、いろいろと勉強をしています。私自身も、旅立つときはエピドレスが着たいですし、そういうものを親が元気なうちに一緒に選べたら素敵ですよね」

大切なことは笑って話ができるうちに

「100人いれば介護も100通りあります。ですから、私の本を読んで参考にしてほしいなどとは思っていなくて、介護に関して考えるきっかけになったり、こういう介護もあるのだと、ひとつの例として見てもらえば」と新田さんはいいます。介護に関するテーマの講演やセミナーを行い、そこで多くの介護中の方と触れあってきた新田さんに、これから介護が始まるかもしれない方、そして介護中の方へのアドバイスをうかがいました。


「『そろそろ介護が始まりそうだな』と感じている方はもちろん、『介護はまだまだ』という方も、笑いながら話せるうちにご両親と介護についての話をしてほしいと思います。介護が始まってから延命治療や葬儀の話をするのはつらいですし、まだ冗談を言い合えるうちに、いろんなことを決めておいてほしいと思います。それと、兄弟姉妹との話し合いも大切です。兄弟姉妹で均等に介護をするというのは、やはりなかなかないんですね。どうしても誰かが多く担うことになるので、できれば前もって役割を決めておくのがいちばんです。『私は体を動かせないけれど、お金の面は頑張る』とか、そういうことを決めておくと、お互いに押しつけられた感がなくなるし、『みんなの親なのに、なんで私だけが介護しなきゃいけないの』という気持ちも生まれにくいと思うので」


親と直接話をするのは気が引ける、というときには「エンディングノート」を活用するのもひとつの手。新田さんの場合は、新田さんがノートに質問を書き、お母さまが答えを書く形式。なにげない話から、たくさんの気づきがあったそうです。


「私の場合は、母に日記がわりとして、『過去を振り返りながら書いてね』と書いてもらっていました。『子供のころ、近所の友だちは誰だった?』『好きな学校の授業は何だった?』と質問をして、それに母が答えてくれて。私は母としての姿しか知りませんが、母にも子供時代があったわけで、答えの中にも意外な発見があったりしました。実はにんじんが苦手だったことを今になってカミングアウトされたり(笑)。エンディングノートというと気が重いと感じるかもしれませんが、子供のころどんな遊びをしていたとか、好きだった先生とか、昔話からいろんな話をして、この先のことまで話を進めることができるんじゃないかなと思います」

「そして今介護中の方には、まずは自分をいちばん大切にしてほしいと思います。理想としては、家族みんなで介護できるのがいいけれど、そうではない場合がほとんどだと思います。だからこそ、自分を大切にしてほしいし、自分を大切にすれば、親や周囲にも優しくなれます。


それと、人の手を借りるのもいいことだと思います。やはり親も家族には甘えてしまい、わがままを言ったりするし、親子喧嘩も多くなったりします。そこで新しい風というか、訪問サービスなどで人が入ることで家の空気が変わりますし、『自分の子どもにわがままを言い過ぎたな』と親自身が気づく場合もあるかもしれません。介護をしている人はまず自分を大事に、その周囲の家族の方々は、介護を担っている人に優しく、気づかいをしてほしいと思います。


つらいときは、『助けて』って声を上げないと誰もその状況をわかってくれないし、『これに困っているの』と言いふらしていれば、きっと誰かが助けてくれたり、気にかけてもらえたりします。『言いふらし介護』で必ずいい方向へ行くんじゃないかなと思います」

プロフィール

1968年3月17日生まれ。埼玉県出身。1985年、テレビ番組『夕焼けニャンニャン』に出演。おニャン子クラブの会員番号4番として一躍人気を博す。1986年『冬のオペラグラス』でソロ・レコードデビュー。おニャン子クラブ解散後も女優、執筆業などで活躍を続ける。2014年、実母が要介護4と認定され介護生活が始まる。その後は自身の経験に基づいた介護に関する講演なども行う。6年半にわたる実母との介護生活を綴った『悔いなし介護』を昨年出版。


オフィシャルホームページ https://www.eri-nitta.com/

オフィシャルブログ https://ameblo.jp/nittaeri/

『悔いなし介護』Amazonページ


撮影/羽田徹(biswa.) ヘアメイク/大宅理絵 構成・文/山本幸代(SOMPO笑顔俱楽部)


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