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安藤優子さん、恩蔵絢子さん、町永俊雄さんによる鼎談風景
2024.12.20

忘れたっていいじゃない。新しい認知症観とは【安藤優子氏、恩蔵絢子氏、町永俊雄氏 鼎談】

時代とともに、認知症に対する理解や意識は変わってきています。特に、今年は認知症基本法が施行されたこともあり、その動きが加速しつつあります。


今回は、お母さまの介護を経験したジャーナリストの安藤優子氏と脳科学者の恩蔵絢子氏、それぞれの介護体験から浮かび上がる「新しい認知症観」について、福祉ジャーナリストの町永俊雄氏を交えてパネルディスカッションを行いました。


共生社会の実現が叫ばれる今、社会はどう向き合っていけばよいのか。そのヒントをお届けします。


安藤 優子
1958年生まれ、ジャーナリスト。東京都日比谷高校から、アメリカ・ミシガン州ハートランド高校に留学。帰国後、上智大学在学中より報道番組のキャスターやリポーターとして活躍。テレビ朝日系「ニュースステーション」のフィリピン報道で、ギャラクシー賞個人奨励賞を受賞。報道の取材経験をもとにした講演、椙山女学園大学外国語学部の客員教授など、様々な場で活動している。

恩蔵 絢子
脳科学者。専門は自意識と感情。一緒に暮らしてきた母親が認知症になったことをきっかけに、診断から2年半、生活の中でみられる症状を記録し脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を2018年に出版。現在、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員。共著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』(中央法規出版)、『認知症介護のリアル』(ビジネス社)がある。

町永 俊雄
福祉ジャーナリスト。1971年NHK入局。「おはようジャーナル」「ETV特集」「NHKスペシャル」などのキャスターとして、経済、教育、福祉などの情報番組を担当。2004年から「NHK福祉ネットワーク」キャスター。障がい、医療、うつ、認知症、介護、社会保障などの現代の福祉をテーマとしてきた。現在はフリーの福祉ジャーナリストとして、地域福祉、共生社会のあり方をめぐり執筆の他、全国でフォーラムや講演活動をしている。


目次
・1枚の絵に浮かび上がる母の姿
・認知症のご本人が感じる“幸せ”
・尊厳に向き合う大切さ
・家族だけではなく、第三者が介入する大切さ
・「忘れたっていいじゃない」を受け入れられる社会へ


1枚の絵に浮かび上がる母の姿

鼎談で話をする安藤優子さん

町永 俊雄 氏(以下、町永): 2024年1月1日に認知症基本法が施行されました。この法律は共生社会の実現を推進するものであり、認知症とともに生きる社会は私たちにとって当たり前の社会なんだというメッセージが込められているような気がするんですね。


そこで考えなければならないのが「新しい認知症観」です。本日は、お2人の介護の経験やエピソードを伺いながら、“新しい認知症観”に迫っていきたいと思います。


安藤 優子 氏(以下、安藤)恩蔵 絢子 氏(以下、恩蔵): よろしくお願いします。


町永: 安藤さんは、自身の経験を単なる介護体験ではなく、“自分の目でみた母の姿”を語っていらっしゃるように感じます。“認知症になった母”ではなくて、“私の母”を語ることにとても大きな意味があると思います。


安藤: 娘と母親は互いに共感しやすい関係性ですが、母が認知症になったとき、好奇心旺盛だった母が違う人間になってしまったように私は思ったんです。料理が上手で明るくて、みんなを楽しませてくれた、あの母はどこに行ったんだろうって。私にとっても受け入れがたいことでした。


町永: 立派な美しい物語として「認知症とともに生きる話」をするのではなく、母親を受け入れられないところからはじまっています。そこからどのように自分の母親像を取り戻していくのか、そのプロセスを丹念に追っているんですね。


安藤: 特に、臨床美術という回想療法を受けたときは大きな発見がありました。臨床美術は見たものをそのまま描くのではありません。母はハワイが大好きであり、ハワイの代表的な花にアンスリウムがあります。1時間のセッションの中で50分はハワイの思い出を話してもらい、最後の10分で一気に花の絵を描くんです。


この絵を描いたとき、母が自ら「よくできた」と自己肯定をしたと、臨床美術士さんが泣きながら私に伝えてくれました。自分の好きだったことが何もできなくなり、「なにもできない」と自己否定の塊のようだった母が、このとき初めて自分で自分を褒めたんです。私もその絵を見たときに「母はまだここにいる」と、母の姿を感じました。


町永: お母さまのお話を聞いていると、認知症のご本人が何もできなくなってしまったのではなく、何もできなくなった要因は社会にあるのかもしれませんね。お母さまは変わりなくそこにいた。これこそ安藤さんが獲得した新しい認知症観だと思うんです。


認知症のご本人が感じる“幸せ”

鼎談で話をする恩藏さん

町永: 恩蔵さんもお母さまの認知症と8年間向き合うなかで、さまざまな経験をされたと聞いています。


恩蔵: 私は脳科学者なので、認知症になってからは母の状態を分析しました。海馬(※)に萎縮が見られ、しだいに料理ができなくなったり、言葉もうまく喋れなくなったりしたんです。


母は、言葉を正確に話すことが苦手になってしまっても、大好きだった音楽に触れる機会があると、以前と変わらない素晴らしい歌い方をしていました。その経験から、会話以外の感情表現などの能力は、まだたくさん残っているということが分かりました。

※海馬:記憶の保持に関係する脳の部位。加齢とともに萎縮がはじまり、認知機能の低下に影響を及ぼすとされる


町永: 当時の経験が今の研究にも活かされているんですね。


恩蔵: そうなんです。現在は、100人以上の認知症の方に60分から90分という長い時間、一対一でインタビューし、ご本人の感情の変化を分析しています。


そこで驚いたのは、インタビューの中で最も強く表れた感情が、“幸せ”だったということです。一方で、一般の人に「認知症の人ってどんな感情で暮らしていると思いますか」とお聞きすると、“恐怖”を一番強く感じているのではという回答が最も多く、幸せは一番低いという結果が出たんです。実際は全く逆でした。


町永: 脳科学の視点から見ても、興味深いデータが出ているんですね。当初は安藤さんと同じようにショックも大きかったと思いますが、どのようにしてご自身の中に母の姿を取り戻していったのでしょうか。


恩蔵:母の認知症が重度と診断されるようになったころ、二人でよく散歩をしていました。あるとき、向こうから子どもを連れた親子が歩いてきたんです。


その2人を母がじーっと見ているなと思ったら、「あやちゃん」と急に私の名前を呼んだんです。当時は、日常生活で私の名前を呼んでくれることがなくなっていたときでした。しかし、親子の姿を見たことで私を連れて歩いたことを思い出してくれたのか、「母の中にまだ私はいるんだな」と感じました。


安藤認知症になっても、母としての思いや人格は変わらないままなんですよね。認知症になるとすべて忘れてしまい、人生のエンドロールを迎えるという恐怖のイメージがどうしても強調されてしまいます。そのせいもあり、かつての母の姿が見えづらくなってしまったのかもしれないなと、今は思います。


町永:さきほどおっしゃいましたが、認知症のご本人が一番強く感じる感情は「幸せ」で、逆に周囲の方は「恐怖」を感じているということでしたね。ご本人と周囲にある認識のずれをどう変えていくかで、向き合い方も変わるのかもしれませんね。


尊厳に向き合う大切さ

安藤: 私の母は施設に入ってから、絶対に拒否していたことが2つありました。


1つは入浴介助を男性の介護士さんにされること。もう一つは、食事の介助のときのプラステックやゴムでできた受け皿式のエプロンです。エプロンは食べ物がこぼれて汚れないようにという配慮ですが、まるで赤ちゃんの離乳食を食べさせるように思えるのか、エプロンをつけると母は頑として口を開きませんでした。


介護をされる方にとって、どうしても最後まで譲れない一線がることを強く感じました。

鼎談で話をする町永さん

町永:認知症基本法の基本理念には「認知症の人の尊厳を保持しつつ希望を持って暮らす」と書かれています。認知症であってもそうでなくても、人としての尊厳は当然ありますから、ご本人のわがままでなく人としての尊厳と捉えるべきです。こうしたことを代弁する人たちが発信していくことが、社会の認知症観を変えることにつながっていくのではないでしょうか。


恩蔵: 自分がもし同じようにプライドを踏みにじられたら嫌な気持ちになります。逆にそうしたプライドが見えたときに、私たちのように「母がいるな」と、ご本人の姿を感じられるようになるといいですね。


家族だけではなく、第三者が介入する大切さ

安藤: 一方で、私が本当に感謝しているのは、介護士の方々や施設で働いている職員の方々です。私の母のことを「認知症を患った人」ではなく、「安藤みどり」(※安藤さんのお母さまの名前)という一人の人間として接してくださったんです。


たくさんある母の写真なども「見せてください」と声をかけていただき、母がどういう人生を歩んできたのか積極的に知ろうとしてくれた。それが母の心を開くのに、すごく大きな意味がありました。


町永: 安藤さんもそうですが、認知症の方と向き合ううえでは第三者の存在がとても大きな力になります。認知症の方にとってご家族の愛情はかけがえのない支えですが、その気持ちだけで介護をすると、両方に負担がのしかかり共倒れになってしまいます。恩蔵さんも、お母さまと向き合うことに葛藤はあったのでしょうか?

鼎談で話をする町永さん・恩藏さん

恩蔵: そうですね。安藤さんもおっしゃっていたように、母と娘は共感しやすい関係性なので、あたかも母が自分と一体であるかのような感情を抱いてしまうんです。だからこそ、自分の思うように母が動いてくれなかったら怒ってしまうこともありました。


なので私は昔の友達や施設の方々など、いろんな助けを借りて母と離れる時間も大事にしていました。母が私とは違う、とても大切な人なんだということを自分で思い返すためでもあり、母にも自分やご家族以外と関わる社会というものを持ってほしかったんです。


町永:お母さまを見捨ててしまったかのような辛い気持ちになったかと思いますが、第三者の助けを借りるのは大事なことです。安藤さんも同じような葛藤があったのではないでしょうか。


安藤:そうですね。第三者が冷静な視点で言ってくださらなければ、自分の感情に振り回されて誤った決断をしてしまっていた可能性があります。それほど後ろめたさがあり、精神的にも追い詰められていました。


町永:そういうふうに思わせてしまう社会の体制を変えていかないといけませんね。ジェンダーバランスで言えば介護者の割合は女性が多いです。それを見て見ぬふりをしている社会がこのままでいいのか、認知症のご本人の声も借りながら考えていく必要があると思います。


「忘れたっていいじゃない」を受け入れられる社会へ

安藤さん、恩藏さん、町永さんによる鼎談風景

町永:ここまで「新しい認知症観」をテーマにお話いただきました。最後に皆さんが今日の場を通してどのように感じたかをお聞きしたいと思います。


恩蔵: 認知症の方と向き合うとき、言葉にしても覚えてくれないし、思うようにやってくれなくて「これも覚えてくれないか……」とつい一生懸命になって、ときにはあたってしまうかもしれません。ですが私も安藤さんも「母は変わっていない」ということを実感したことで、母との出会い直しができ、認知症観が変わりました。


認知症になればできないことばかり増えると決めつけるのではなく、私たちのほうが変わることで、「まだまだできることがたくさん残っている」「これからも楽しめることはたくさんある」と思えるようになったんです。それが私の「新しい認知症観」なのだなとあらためて思いました。


安藤: 私は絵を描く母の姿を見たことで、大変な人生を生き抜いてきた母にとって今は神様からもらったプレゼントみたいな時間なのかもしれないと思えたんです。今日が何月何日で、私は誰で、今日はあれをしなくちゃいけないとか、そんなの忘れたっていいじゃないと。認知症に対する不完全さのようなものに対して、あまりにも社会が厳しいような気がします。だから私はあえて「忘れたっていいじゃない」ということを、これからも言い続けたいと思います。


そして、介護の現場の方は命が終わっていく瞬間に立ち会うことも多く、精神的な辛さもある仕事です。そんななかで私たちに手を差し伸べ支えてくれたことに、あらためて感謝を申し上げたいと思います。


町永: 安藤さんのお母さまは戦前、戦中、戦後と懸命に生きてきて、人生の最終期にたまたま認知症になりました。そのことを考えると、「忘れたっていいじゃないか」という言葉は、この社会で生きる一人ひとりの人生は尊厳と希望に満ちた人生であることの表れだと思います。お2人の話を伺いながら、そんなことを感じました。

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