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安藤優子さんのポートレート写真
2024.12.18

キャスター安藤優子さんに聞く 仕事と介護を両立するために大切なこと

近年、仕事をしながら介護をする人(ビジネスケアラー)が増加傾向にあり、2030年には約318万人に迫るといわれています。仕事と介護の両立は、ご本人やご家族だけでなく、社会全体にも影響が及びます。


そんな状況のなか、家族の介護に関わる人や周囲の人はどのような対応をすべきでしょうか。

本記事では、キャスターやジャーナリストとして活躍し、自身のお母さまの介護を経験された安藤優子さんにインタビューを実施。実際に仕事をしながら、どのようなことを考え、どのように介護に関わってきたのか。「仕事と介護の両立」をテーマに、当時のエピソードを交えながら、お話を伺いました。


目次
・仕事をしながら介護をする生活が突然はじまる
・プロが関わることで社会とのつながりが生まれる
・自分たちでどうにかする“自助”から、社会で支える“共助”へ

安藤優子さん
1958年生まれ、ジャーナリスト。東京都日比谷高校から、アメリカ・ミシガン州ハートランド高校に留学。帰国後、上智大学在学中より報道番組のキャスターやリポーターとして活躍。テレビ朝日系「ニュースステーション」のフィリピン報道で、ギャラクシー賞個人奨励賞を受賞。報道の取材経験をもとにした講演、椙山女学園大学外国語学部の客員教授など、様々な場で活動している。

仕事をしながら介護をする生活が突然はじまる

インタビューに応える安藤優子さん

―― 安藤さんは、キャスターとして働きながら、約15年間、お母さまの介護に関わっていました。当時、お母さまを介護するようになった経緯を教えてください。


最初に異変を感じたのは、母が74歳くらいの時でした。それまでジムに行ったり、水泳をしたり、お料理サロンを開いたりと、本当に活動的だった母が、突然何事にも「面倒くさい」と言うようになりました。その後トイレで転倒したことも……。


当時、母に認知症の兆候を感じてはいたものの、正式な診断が出たのは高齢者施設に入ってからのこと。私たちは、母の変化を年齢のせいだと思い、根本的な原因を探ろうとしていなかったんです。


――変化をキャッチしてはいたものの、一歩踏み込んで原因を探らなかったのは、なにか理由があるのでしょうか。


私たちが知らないところで、父だけは黙々と母の変化に寄り添い、支え続けていたんです。それまで台所にも立ったことのない父が、簡単な食事の用意をするようになっていました。父の支えのもとに母の生活が成り立っていることを私たちは知らなかったんです。


しかし、そんな生活も長くは続きませんでした。父にもガンが発覚して余命半年と宣告され、母の介護は私たち娘とヘルパーさんで行うことになったんです。


――昨今、介護のために仕事を辞める「介護離職」を選択する方々の存在が社会問題にもなりつつあります。当時、介護を行うことになって、仕事との折り合いをどのように考えていましたか?


私の場合、仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。報道という仕事柄、社会的な責任もあるし、当時はフリーランスという立場でしたので、契約という約束ごともあります。なんとかして折り合いをつけなくてはいけない状況でした。


──両立せざるを得ないという状況だったのですね。両立を図るにあたって大切にしていたことはありますか?


一番大切にしたのは、自分の時間を確保すること。できるだけ人の何倍も早起きして、自分の体を鍛えるようトレーニングをしていました。


介護から離れる時間を作りたいというよりは、自分のメンテナンスの意味合いが大きいです。介護と仕事の両方に向き合ううえで、体力的にダメになる、精神的にダメになることは許されませんでした。自分自身を保つために、最低限、身体を健康的に保たなければならないと考えていました。


プロが関わることで社会とのつながりが生まれる

インタビューに応える安藤優子

── 当時は、自身が介護をしていることを周囲の方々に打ち明けていたのでしょうか?


テレビ局の同僚や仕事仲間には誰にも話していませんでした。私にとって仕事の場はパブリックな場所。そこに私事を持ち込むことは避けたかったんです。


大学時代からの友人や、トレーニングを担当してくれているトレーナーには話をすることもありましたが、一番頼りにしていたのはやっぱり家族です。兄は地方に転勤となりこちらにいなかった時期もあったので、情報を共有しながら母の介護で一緒に動いていたのは姉でしたね。


── 介護者にとって周囲の理解や支援はとても大切ですよね。


介護をしていると、どうしても“言葉”に振り回されてしまうことがあります。


自身が介護をしていることを周囲に伝えると、「大変ね」という言葉を言われることがありました。介護をしている人なら分かると思うのですが、その言葉には複雑な思いが湧きます。介護はたしかに大変だし、辛いもの。ただ、「大変ね」という言葉を言われても、どうしても表面的な同情のように感じてしまい、やりきれない思いがありました。


── 言葉の背景には、周囲の支えたいという気持ちも含まれていると思いますが、当事者の状況や心の状態によって、受け取り方が変わってきそうです。


母親の言葉も同様です。例えば、母を高齢者施設に入所させようとしたときのこと。母は、親の面倒は子どもがきっちり見てほしいという考えを持っていたので、施設入所に対して「こんな仕打ちを受けると思わなかった」という言葉を投げかけられたんです。


当時は本当に落ち込みました。血がつながってる親子ですから。母のためを思って一生懸命探した施設だったのに、その言葉の強さを引きずって「私はひどい娘なのかな」「家に引き取って一緒に暮らすべきなのかな」と自問自答してしまいました。


── その時、どのように乗り越えられたのでしょうか?


長年、我が家に来てくださっていたお手伝いさんが「一時の感情で、自分の将来を左右することを決めてはいけない」と言ってくれたんです。報道の仕事は24時間体制で、突然夜中に地震が起きたから取材に行ったり、海外に行ったりすることもあります。


「一緒に暮らすなら、その時にお母さんは誰が介護するんですか。お母さんにとってもそれは不幸になりますよ」と、第三者の視点が私を冷静にさせてくれました。


── ご家族以外の第三者が介護に関わることについて、どのようにお考えですか?

介護は絶対に第三者がいないとうまくいかないと思います。介護者とのつながりに血縁だけを求めると、それはとても重い十字架になってしまい、精神的に行き詰まってしまうんです。


それは、親に対する記憶や理想像があるからだと思います。かつての「とても尊敬に値する存在で、自分よりも常に正しくて明るい」という親の姿を追い求めていると、目の前の現実がどんどん受け入れられなくなっていく。そういう状態では、適切な介護はできないんですね。だからこそ、やっぱりプロの人たちが必要なんです。きちんとしたそのケアの方法論を身につけている方ですから、ケアの質も違うと思います。


── 実際に専門の方が関わることで、どのような変化がありましたか?


母は最初、施設への入所にとても抵抗がありました。でも、職員の方々が一生懸命母のことを理解しようと努力してくださったことで、最終的には職員の方々に心を開き、とても穏やかな生活を送ることができました。


私が知っている母と職員さんの目に映る母は、違う一面があるんです。私にとっては「母」ですが、職員さんは「一人の人間」として向き合ってくださる。母も新しい人間関係の広がりを楽しんでくれたのではと思います。


家族の中だけで解決しようとすると、当事者同士のことしか見えなくなり、介護と向き合うための視野が狭くなりがちです。でも、第三者が入ることで、別の視点や解決方法が生まれる。第三者がいることで当事者の介護の負担を減らすだけでなく、介護される側にとっても、より豊かな人生につながっていくんです。


自分たちでどうにかする“自助”から、社会で支える“共助”へ

安藤優子さんのポートレート写真

――現在は、過去に比べて介護に対する社会の理解が広がりつつあると思いますが、実際に介護を経験した安藤さんからはどのように見えていますか?


今の企業は育児や出産に関する制度は整ってきていますが、介護についてはまだまだこれからだと感じています。介護関連の福利厚生が整えられており理解が深い職場もあると思いますが、毎年10万人が介護を理由に退職していると言われています。


日本における介護は「自助」。つまり家庭内で解決すべき問題として捉えられがちです。私が特に危惧しているのは、この自助という考え方が、実質的には「自分たちでどうにかすべき」という自己責任となり、家族を追い込んでしまうことです。


── 介護をする側も周囲も、無意識のうちに自助の気持ちが出てしまうことがあるのかもしれません。


ヤングケアラー(※)の問題も含めて、「家の中で解決しなさい」という社会的な風潮が、介護する側も、される側も孤立させてしまいます。


これからは「共助」、つまり会社や社会全体で支え合っていくことが必要だと思っています。地域における見守り活動も浸透しつつありますが、介護の問題を個人や家族だけの問題とせず、社会全体で共有し、支え合える場を作っていくことが大切ではないでしょうか。

※ヤングケアラー:大人が担うとされている家事や家族の世話などを日常的に行っている、未成年の子どもや若年層のこと


── 共助の意識を広げるために、私たちになにが必要なのでしょうか?


日本の介護保険制度やケアマネジャーのシステムは、とても整備されていると思います。ただ、活用するまでのハードルが高くて、特に最初のSOSを出すのが難しいんです。


── なぜSOSを出すことがそれほど難しいのでしょうか?


例えば、以前アメリカの日系の高齢者施設を取材した時に感じたのは、「親の恥を晒すことへの強い抵抗感」でした。これは日本でも同じように思います。かつての自分を育ててくれた、とても頼りになる親の姿とは異なる今の状況を、誰かに知られることへの葛藤がある。その親の姿を一度は拒否してしまうんですね。


現実を受け入れ、周りに周知して助けを求められるようになるまでに、自分の中で精神的な段階を踏んでいくことが必要なんです。


── その課題を乗り越えるために、どのようなアプローチが必要だとお考えですか?


「社会福祉課に相談してほしい」と言われますが、実際に足を運ぶまでのハードルが想像以上に高いです。結局、「自分の親がこんな状態になってしまった」という思いが、誰かに相談することを躊躇させてしまうんです。


そのために、介護に直面している人が「これを言ってもいいんだ」と気づけるような場を、社会全体で積極的に作っていく必要があります。介護は誰もが直面する可能性のある課題です。だからこそ、恥ずかしいことでも隠すべきことでもない。そういう意識が社会に浸透していくことで、介護に対する理解がより深まると思います。

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