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加藤綾菜さんのポートレート写真
2024.10.24

加藤綾菜さんインタビュー | “無関心”だった私が、介護にのめり込んだ理由

2011年、23歳の時に45歳年上の加藤茶さんと結婚した加藤綾菜さん。


結婚当初は介護に全く関心がなかったという綾菜さんですが、夫の病気を機に勉強をスタート。「介護食アドバイザー」「介護福祉士実務者研修」など様々な資格を取得したほか、施設でのボランティアや親せきの介護などを通じて、興味が深まっていったそうです。


愛する人の病気をきっかけに、介護に魅了され、のめりこんでいく。その変化の過程を伺いました。


目次
・愛する人・身近な人の変化をきっかけに、介護への意識が生まれる
・加藤茶さんからの言葉を信じ続けて
・大切な人に送る言葉「“自分の幸せ”を願い続けてほしい」
・介護に対する思いが社会に広がる

加藤綾菜 さん
タレント。2011年に加藤茶さんと結婚。年齢差が45歳で年の差婚として話題になるもバッシングを受け続けたが、一切メディアやSNS等で反論することなく耐え続けた。その結果、献身的に支える良き妻としてテレビや雑誌で取り上げられ、年の差婚ならではの料理の秘訣やコミュニケーションの取り方など、ライフスタイルを中心にその考え方を発信している。

愛する人・身近な人の変化をきっかけに、介護への意識が生まれる


── ご結婚した当初、お2人の45歳という歳の差も話題になりました。当時は将来、加藤茶さんに介護が必要になる可能性も考えたのでしょうか。


当時はまだ私も若かったですし、加トちゃんが現役バリバリで働いていたので、正直介護は頭をよぎることすらなかったです。「いずれそういう時が来るだろうな」と言う思いはあったものの、自分には関係ない話だろうと思っていたんです。


取材でよく「加トちゃんが介護になったらどうしますか?」と聞かれたときは「私が一生見ていくんで大丈夫です」と答えてはいました。けれど、正直想像がついていなかったですね。


── そんな綾菜さんが介護について具体的に考えるようになったのは、加藤茶さんの身体の変化がきっかけだと。


そうですね。結婚2年目の私が25歳の時、収録から帰ってきた加トちゃんに40度ぐらいの熱があったんです。すぐに寝室で寝かせたもののあまりに何の音もしないから心配になって部屋をのぞいたら、全身ものすごい痙攣が起きていて。急いで病院に行ったところ、パーキンソン症候群と診断されました。


──当時はどのようなサポートをしていましたか?


私は毎日病院に泊まり込んで、小説を一日一冊読み聞かせたり、新聞を読み聞かせたり。そのうちに、ちょっとずつ会話ができるようになって「今一番何がしたい?」と聞くと「復活して舞台でコントやりたい」と言うんです。


「私が絶対にまた舞台に立たせてあげるけん、心配せんでいいよ」と励ましました。病院の先生もリハビリの方も本当に頑張ってくれて、1年で復活したんですよ。


── 素晴らしいですね。


退院後、まずは食生活を見直そうと思って、まず料理の勉強を始めました。加トちゃんは好き嫌いが激しくて、野菜や魚も食べないし、揚げ物やラーメンが大好き。野菜をペースト状にしてソースに入れたり、ハンバーグに細かく切って入れたりして、少しずつ野菜を食べるようになって、健康的になっていったんですよ。


── 好き嫌いを克服したんですね。


でも、その数年後に、今度は食道破裂を起こして、吐血してしまったんです。それで入院している時に、また入退院を繰り返していちいち動揺するんじゃなく、どっしり構えるために知識を入れておこう、と介護の勉強を始めました。それで、介護初任者研修の資格を取りました。


ただ、その後、コロナ禍になってすぐに、身近な方が亡くなってしまって。いつも元気でいてくれた人が急になくなってしまうんだ、と思ったときに「ちゃんと知識をつけたい」と介護実務者研修の資格を取る勉強を始めたんです。


加藤茶さんからの言葉を信じ続けて

インタビューに応える加藤綾菜さん

── 愛する人や身近な人の変化にネガティブな気持ちになってしまうこともありますが、立ち向かうために勉強しようと気持ちを切り替えられたのはどうしてなのでしょうか。


そういう性格なんです(笑)。私は、楽観主義で生きていこうと決めていて。幼少期にいじめにあったり、結婚当初に世間からバッシングされたり、色々ありましたが、人生のマイナス面をプラスに転換したいという思いが強いんですよ。同情されて、泣いて終わるなんて絶対嫌なんです。


加トちゃんが病気に倒れて、週刊誌にも「芸能界引退か」と書かれました。でも、加トちゃんは、戦時中に生まれて、戦後も暗い日本を笑顔にしたいという志で、一生懸命頑張ってきたんです。そんな人の老後が週刊誌の一言で終わるなんて、いいわけがない。絶対にいい方向に転換させるぞという気持ちでした。


── 加藤茶さんのメンタル面のサポートも大変だったのではないですか?


それが、加トちゃんは全く気持ちが落ちないんですよ。16年ぐらい一緒にいますが、気持ちが落ち込んで「もうダメだ」となるのは、ほぼ見たことがないんです。加トちゃんの腎臓が悪くなってしまい、医師から「透析になるかも」と言われたことがあったんです。私は落ち込んだんですが、「透析をやる人生もなかなかいいんじゃないか」って。


── ポジティブですね!


私と結婚したときも、世間からバッシングされてつらいときに「これから先、10年忍耐だから。一生懸命にやったら絶対世間が認めてくれるから誠実に生きなさい」って言ってくれて。


加トちゃんは人生いいときも悪いときもあったけど、決してぶれない、強い信念を持っているんです。そこが一番尊敬できるところですね。


── 当時、支える側の綾菜さんとしてもまだに20代半ばで、周囲の友人に悩みを共有できなかったのではないですか。


孤独感はありましたね。SNSを見ていたら、みんなディズニーランドとかに遊びにいっていて「私はいつも病院にいるのに」と思うことはありました。加トちゃんは著名人だし、友人には当時の状況を何も話せなかったんです。


──「 介護のことを周囲に話そう」と思えたのはどういうきっかけだったんですか?


加トちゃん自身がテレビで自分の病状について言いはじめたんです。それで私も言うようになったら、いろいろな情報入ってくるようになったんです。例えば、私が介護について勉強していると知った、病院の栄養士さんが「勉強教えてあげるよ」って言ってくれたことも。


介護の資格を取ったり、取材で介護のお話しをしたりするようになると、助けてくれる人との繋がりができるとわかったんです。


大切な人に送る言葉「“自分の幸せ”を願い続けてほしい」

インタビュに答える加藤綾菜さん

── つながりが生まれる一方、介護の資格を取ったあと、どのように実践をしていったのでしょうか。


定期的に介護施設のボランティアに参加していますが、親戚の介護経験はたくさんの学びがありました。


親せきががんになってしまって、介護が必要な状態になったんです。病院にも付き添い、先生に話を聞いたら、余命3ヶ月と宣告されました。私は彼女自身が「自分は幸せだ」と思えるように人生を送り出してあげたいと思ったんです。介護実務者研修を取っていましたし、できることはなんでもしようと週4日くらい彼女の家に通いました。


── 親戚の介護を通じてどんなことを学びましたか?


ある時、こんな会話をしました。


:毎日どんなことを思う?

親せき:つらいし、痛いし、惨めだし。「人生こんなはずじゃなかった」って毎日50回以上思ってる。

:今は生きていて幸せって思う?

親せき:1日1回も思わない。

:それはダメ!「絶対元気になるんだ。自分は素晴らしい存在で、これから絶対幸せになるんだ」って、毎日自分に言いな!

親せき:言えない。

:とにかく細胞を活性化するために毎日言って!


そしたら、その日を境に、彼女の部屋から言葉が聞こえてきました。「頑張っててえらいね」って、自分を励ますようになったんです。当初は余命3カ月と言われたところ、今年で3年が経過。生きる希望や活力はすごい。人体って神秘的だなと思いました。


──いろいろな支え方がありますが、なぜそのような言葉を投げかけたのでしょうか?


本心は励ます元気もなかったんですけど……。いろいろな治療を受けて、“もう彼女の気力次第”というところまできてしまったから、自然と言葉が出てきました。


ただ、先日また彼女の家に行ったら、彼女の口から「1日1日、私はなんて幸せなんだってかみしめて生きている」と言ってくれたんです。この3年で彼女自身が本当に変わったんだと感じました。


病気になったのは不幸じゃない。病気に負けるのが不幸なんだ。彼女は負けてないんだと分かりました。いろいろなことに気づかせてくれた、彼女に感謝ですね。介護される側よりも、介護する側の方が、ある意味感謝の気持ちが大きいように思います。


介護に対する思いが社会に広がる

インタビューに答える加藤綾菜さん

── 加藤茶さんや親戚の介護経験から、綾菜さんが介護に深く関わっていく姿が見えてきました。その行動の変化は、どういうモチベーションからだったのでしょうか?


介護は関われば関わるほど、興味が深まっていくんです。


10年ぐらい前から、近所の清掃活動に参加したことをきっかけに、たくさんの高齢者の方と出会いました。なかには、認知症の人もいて、何度も顔を合わせるうちに、仲良くなって家に様子を見に行くこともあります。以前なら自分から認知症の人に関わろうなんて、考えなかったと思うんです。


でも、介護について勉強し、地域の人と関わりながら身に着けたことを実践していくと、そこに住んでいる人のことが自然と気になっていくんですよね。認知症の方が、どうしたら地域で安心して生活を送れるようになるかを一緒に考えることもあります。介護者は、よく“人生の伴走者”と言われますが、本当にその通りだなと思うんです。


── 加藤茶さんの介護からはじまったものの、今は、地域社会の介護へと関心が広がっているんですね。


そうですね、今は加トちゃん以外の介護に興味があるかもしれません。でも、いろいろ学んでいったら、加トちゃんの介護が急に必要になっても「このパターンは見たことある」と、覚悟を決められるんじゃないかなと思っています。


ボランティアや地域の人と関わっていると、「介護ってすごい!」と思える瞬間がたくさんあります。そんな体験をしたある日、家に帰って加トちゃんにその思いを共有したことがあるんです。「私、介護向いとるかもしれんわ」と。


加トちゃんは、「向いてるね」って言ってくれました。



加藤綾菜さんが、加藤茶さんとの生活を赤裸々に語る!対談番組『もっと介護のハナシをしませんか?』公開中。
もっと介護のハナシをしませんか? 第1回「食へのこだわり」
「人を支えること ~加トちゃんの夢実現のために~」
「介護業界のDX ~未来の介護の在り方~」



写真/長野竜成 文/市岡ひかり

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