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パネルディスカッションの様子
2023.11.03

「社会にあるバリアを超える」4人の有識者が語る、認知症のこと

人生100年時代、だれしも認知症と無関係ではいられない時代です。認知症と共に生きる社会の実現に向け、今私たちはどんなことを乗り越えるべきなのでしょうか。


このほど行われたオンラインセミナー「第7回『共に生きる』認知症を考えるオンラインセミナー~Talk with 話そう。認知症のこと」では、そんな認知症と共生する社会への“バリア(障壁)”がテーマ。パネルディスカッションでは、脳科学者で認知症の母を介護した経験のある恩蔵絢子さん、認知症専門医の松本一生さん、俳優で母の介護経験もあるいとうまい子さん、老年科医で軽度認知症と診断されている奈倉道隆さんが、それぞれの立場から考える社会の“バリア”について語りました。


(左)いとうまい子
1983年アイドルデビュー。現在は俳優として活躍する一方、テレビ番組制作会社の代表を務める。2010年、早稲田大学入学。修士課程では「ロコモティブシンドローム」予防のための医療・福祉ロボットの研究に携わる。現在は同大学院に研究生として所属し抗老化学を研究中。2021年に内閣府の教育未来創造会議の構成員を務めている。

(中央左)松本一生
松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪公立大学大学院客員教授、日本認知症ケア学会理事。1956年大阪市生まれ。1983年大阪歯科大卒。1990年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など。

(中央右)恩蔵絢子
脳科学者。専門は自意識と感情。一緒に暮らしてきた母親が認知症になったことをきっかけに、診断から2年半、生活の中でみられる症状を記録し脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を2018年に出版。現在、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員。近著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』(中央法規)がある。

(右)奈倉道隆
1934年生まれ、東海学園大学名誉教授。京都大学医学部卒 医学博士、老年科医。佛教大学仏教学科卒、僧侶。介護福祉士。2010年、MRI検査で脳の萎縮が見られ、軽度認知障害(MCI)の状態とされたが、大学院の特任教授を3年勤め、その後も、介護福祉施設デイサービスのボランティアなどとして活躍している。13年後の今も脳の萎縮に変化は見られていない。

目次
・75歳で認知症と診断され「生き方を考えた」
・入院をきっかけに認知症が悪化、寝たきりに
・かかりつけ医と病院との連携で、入院中の認知症進行を防ぐ
・介護家族は「30%を目指す」くらいでいい
・長寿社会をどう生きるか、生き方や考え方を転換すべき
・他者のために何かをしようという人は認知症が悪くならない
・認知症になっても負けない生き方を今から準備しておく


75歳で認知症と診断され「生き方を考えた」

パネルディスカッションに登壇する、奈倉道隆さん

奈倉道隆さん

── 本日は、「社会にあるバリアを超える」をテーマに、4名の専門家の方々のトークセッションをお届けします。今回は、当事者でありながら老年科医師として活躍する奈倉先生にもお越しいただいています。奈倉先生は75歳の時に軽度認知障害と診断されたそうですね。


奈倉さん:そうです。自分自身のバリアを超えて、普通の生活が活発にできたことが認知症を進ませない秘訣だったと思います。今89歳ですが、60年前に親族の介護をした経験が、教訓を与えてくれました。


私が75歳の時に認知症の検査を受け、脳に萎縮があるとわかりました。「認知症になってしまった、もうダメだ」と思うのが普通だと思うのですが、私は親族の介護の経験があったので「さて、これからどうやって生きようか」と考えたんです。


──その後の生活や人生はどのように変化しましたか?


実は、認知症があるとも知らず75歳で退職した後「新しい大学院作りを手伝わないか」と誘われて、「やります」と約束していました。認知症があるなら、今後どうしようかと迷い専門医に相談しました。その先生のアドバイスが良かったんですね。「奈倉さん、その仕事をやりたいですか?やりたかったらやりなさいよ」と言ってくれました。


「でも、新幹線に乗る必要もあります。認知症が進行して乗れなくなってしまったらどうなりますかね?」と聞くと、その先生は「そうなったら、その時相談に乗りましょう」とサポートしてくださいました。私は「やろう!」と決意して、大学院づくりに取り組みました。これが、私の認知症の進行のブレーキになったと思います。3年で無事にやりとげることができました。その後、認知症が進むかなと思ったんですが、最近MRIを撮影したところ脳の萎縮は進んでいませんでした。なぜそうなのかよくわかりませんが、コミュニケーションを大事にしたのがよかったと思います。


入院をきっかけに認知症が悪化、寝たきりに

──いとうさんは、俳優として活躍されると同時に、大学大学院博士課程で老齢科学の研究にも取り組んでいらっしゃいます。認知症のお母様の介護経験もあるそうですね。


いとうさん:そうですね。母は今年2月に亡くなったのですが、1年前に急に体調を崩して、間質性肺炎と心疾患と診断されました。「肺の水が抜ければ退院できる」とお医者さんに言われたのですが、退院後、急に認知があやふやになってしまったんです。日を追うごとにぼんやりしてしまって。退院後は元気な母に戻るかと思っていたのですが、戻ることはありませんでした。


病院では、軽い認知症と診断されました。ただ、少しずつ悪化していき、気づいたら「あなただれ?」みたいな感じになってしまったんです。認知症ですから、家にいても誰が訪ねてきたのかよくわからず、慌てて転倒して骨折してしまう。そして入院してしまい、それが長くなれば長くなるほど認知がぼんやりとしてしまう、という状況でした。


恩蔵さん:私の母も今年の5月26日に亡くなりました。1月に骨折で入院したとき、「簡単な手術だから、次の日からリハビリできる」と言われていたのですが、3カ月間入院して寝たきりになってしまいました。リハビリが進まなかったのは、認知症で指示が届きにくいことが原因でした。


かかりつけ医と病院との連携で、入院中の認知症進行を防ぐ

パネルディスカッションに登壇する松本一生先生、恩蔵絢子先生

(中央)松本一生さん、(右)恩蔵絢子さん

── 入院を機に認知症が進行するのを防ぐ方法はないのでしょうか。


松本さん:病院側としては病気を治してあげたいという思いで、治療の方に目が向いてしまうので、たとえば骨折なら動かずにじっとしている方がいい、となってしまう。ただ、それが結果的に、認知症の方や高齢者の状態を悪化させてしまうんです。


以前に比べると病院の意識も変わり、リハビリに力を入れてくれるようになってきましたが、自宅に戻ることを視野に入れた積極的なリハビリテーションをやっていくべきだと思っています。


いとうさん:私の母は2回骨折しているんですが、最初は右手の手首でした。利き手だったので自力でご飯が食べられなくなり、私が毎日通ってご飯を食べさせていました。ただ、二度目に大腿骨の付け根を骨折すると、そこからは完全に動けなくなってしまって。動けないし、痛いし、本人もつらかったと思いますね。


松本さん:病気の状態によっては入院せざるをえないこともありますよね。ただ、人との接点がなくなることで、虚弱状態が進んでしまう。かかりつけ医が病院の担当医に積極的に情報提供するといった連携があるといいですね。


奈倉さん:私は「認知症は治らないから病院に行っても仕方がない」という考えは大きな間違いだと思います。老年科の医療は病気を持ちながら健やかに生きるということを考えます。認知症は記憶障害ですが、昔のことは覚えています。だから、昔のことをどんどん思い出してもらうと、かなり悪化を防ぐことができます。


特にこれから若年性認知症が増えていきます。この人たちは64歳以下ですから、働かないといけません。認知症が進行すれば、サポートが必要です。サポートは介護とは違い、対等な立場で仕事がしやすい環境を整える必要があります。そして、大きな問題が起きそうなときだけ手を出す。支える側も訓練が必要です。これから先、対策が進むと思いますが、その第一段階が社会のバリアを外すこと。認知症は普通の病気だ、ということで、早期に受診し、働けるようにサポートするという対策が必要ではないでしょうか。


ホームドクターの制度も必要です。ホームドクターは患者に責任を持ち、患者もホームドクターになんでも相談する、という体制が大切だと思います。


介護家族は「30%を目指す」くらいでいい

── 介護では、自分の親だからこそ向き合えないこともあります。いとうさんはいかがでしたか?


いとうさん:そうですね。自分の親を、つい「万能の人」だと思ってしまうんですよね。親の変化を認めたくない自分がいて、バリアをはってしまう。目の前の状況を信じたくなくて、つい「なんでできないの」と強い態度で言ってしまう。他人には優しくなれるけど、自分の親にはなかなか優しくできないんですよね。


松本さん:僕も自慢じゃないですが、家族に対して寄り添った介護をしたことがありません(笑)。専門職だからこそ難しいんじゃないでしょうか。


認知症の介護は、60点を目指すのすら難しかったりする。僕の中では30点くらいかな。みんなの助けを得ながら、自分が孤立しないように、と思い続けながらも、妻を1人で介護しています。偉そうに言っても、自分ではできていないこともありますね。


恩蔵さん:家族だからこそ難しいことってありますよね。私も母に散々厳しいことを言ってしまいました。ただ、母に対してにこにこしてばかりいるのも、母と私の関係じゃないような気もして。怒ってもいい、と思うようにしていました。


それでも幸せな瞬間もつくりたいと、時々は一緒に旅行したりもしていました。あとは言葉ではないコミュニケーションをする。音楽を流すと、母がすごく感情を乗せて歌ったりして……。介護を通じて、人間とどう付き合うかということを学びました。

パネルディスカッションに登壇する いとうまい子さん

いとうまい子さん

いとうさん:ある時、母がお腹を下してしまい、おしめのパンツが嫌だったようで、トイレに流してしまったことがあったんです。そしたら、トイレが詰まって溢れてしまって。夜中に量販店に行き、掃除用具を買ってきたりして大変だったんですが、それ以降は「これはゲームだ!」と意識が変わりましたね。対処できることを事前にやっておこう、と。


そこまではケンカもありましたが、その時からは赤ちゃんの頃、母が私のおしめを変えてくれたところから交代する時が来たんだと意識が変わり、母を我が子のように思うようになりました。そう言いながら、時々はイラっとしていましたけれど(笑)。


松本さん:私も昔書いた本の中で「5回30分の法則」というものを作ったんです。同じことを5回聞くと、どんな達人でもイライラしてしまいます。ただ、家族の方が関われば関わるほど、ご本人も混乱したりする。もし30分努力して収まらなかったら、ご本人の安全を確保したうえで、離れてもう1回仕切り直しをしましょう、というのが30分の法則なんです。


長寿社会をどう生きるか、生き方や考え方を転換すべき

── 認知症患者、医師、介護家族など、それぞれの立場から、認知症と共に生きるためのバリアをどう考えますか?


奈倉さん:人間は1人では生きられません。支えあってサポートして、共生社会を築いていく必要があります。そのために認知症患者は自分自身のバリアを取り払い、認知症に向き合う。認知症だということを隠したり、治らないからといって目を背けたりするうちに、本来元気で生きられるはずの人がみじめな生き方になってしまう。長寿の時代をどう生きるか。生き方の転換が大事だと思っています。


いとうさん:認知症、と聞くと治らないというイメージがありますが、奈倉先生のような元気な方もいらっしゃるんですよね。さまざまな認知症のパターンを知っていくことが、バリアを超える第一歩だと思います。


恩蔵さん:そうですね。私は認知症には言葉のバリアがあると感じています。つい私たちは、認知症で言葉上のコミュニケーションができなくなってしまうことに目を目向けがちです。例えば、認知症患者から名前を間違えられて落ち込んだりしてしまう。


でも、認知症になってもその人らしさが残っていると分かったら、認知症の見え方がどう変わるのかに興味があります。言葉以外の手段でどうその人とつながることができるのか。失敗を繰り返しながらつかむことが大切だと思います。私も、母にとって妹のような存在の人がいてその人と間違えられたことがあったんですけれど、妹のような人も娘も、母にとってかわいいということは同じじゃん!と思っていました(笑)。


松本さん:私は介護にかかわる専門職の中に、自分を限定するイメージのバリアがあると思います。介護、医療、福祉など、それぞれで職務が細分化していますが、医師だから医療だけやるのではなく、境界をなくすことが大事だと思っています。自分の領域ではないことを知り、連携を広げていく。それが地域包括ケアかなと思います。医者も症状のことばかりではなく、もう少し患者の生活全般を見て、その人を支えることが大切だと思います。


奈倉さん:認知症当事者としては、自分の中の内なるバリアを超えることが大切です。認知症にはいわゆる問題行動があり、これによって認知症になりたくないと思う方が多い。ただ、これは認知症固有の症状ではなく、環境がそうさせているんです。


僕自身、昨日も道に迷って大声を上げたくなってしまった。そういう時は、まず話を聞いてもらえるといいですね。「認知症の人との対話で、明らかにこの人が間違っているな」と思えても頭から否定するのではなく、「あなたはそう思うんだね」と相手の気持ちを認める。そのうえで対話をしていくと、本人の気持ちも落ち着くと思います。


他者のために何かをしようという人は認知症が悪くならない

パネルディスカッションの様子

──認知症の進行の予防のためには、認知症患者自身の役割や居場所を見つけることも重要です。


奈倉さん:そうですね。僕自身、デイサービスにボランティアとして通ってもう4年になります。大事なのは、職員やボランティアは利用者さんと対等であること。「私が世話をしてあげる」という態度ではなく、対等な立場で接すると、親しくなれ、お互いに元気になります。


恩蔵さん:私ができることとして最初に考えたのは、母と一緒に台所に立つこと。もう一つは、父が母と散歩をすることだったんです。散歩していると道に咲いている花にも気が付いたりして。それに、母が友達に「人生で初めて、お父さんとこんなに一緒に過ごせてうれしい」と言ったそうなんです。


散歩は記憶の整理にもいいといわれているので、母の精神状態を安定させるのによかったんじゃないかなと思います。


いとうさん:奈倉先生のように、自分が世の中に役に立てることを見つけると、一気に良い方向に回りだしますよね。家族が認知症患者がやれることを見つけて、アドバイスをするのもいいと思います。


松本さん:僕の外来でも、他者のために何かをしないといけないと思っている人は、認知症が悪くならないというデータがあります。僕も、今妻から「あれしろ、これしろ」と指示されていますが、家内が僕を支えていると思っているぐらいがちょうどいいんだと思います(笑)。


認知症になっても負けない生き方を今から準備しておく


── 最後にメッセージをお願いします。


いとうさん:認知症の方もそうでない方も、介護家族の方も、認知症について話せる機会を持てると、もっとバリアを超えていけると思いました。みなさん、暗くならず、楽しく向き合っていきたいですね。


松本さん:僕は誰しも思う「自分はこれが限界。これ以上のことはやっていけないんじゃないか」という気持ちを乗り越えていくことが必要だと思います。僕自身も医師としての立場を超えきっていない自分がいます。自分に対してリミットをかけることをやめてみましょう、とぜひ皆さんお伝えしたいです。


恩蔵さん:私は母にとって安全な場所になれるよう心がけてきましたし、自分と関わる人には安心してほしいと持っています。私も不安になったら、誰かに安心できる場所になってほしい。みんなにとって安心な場所が広がればいいな、と思います。


奈倉さん:これからは人が100歳まで生きる可能性がある時代。私たちは100歳まで生きる間に、たいてい認知症に出会います。今から「認知症は私の問題だから、認知症になっても負けない生き方を準備しておこう」という意気込みを持っていれば、認知症になっても生きていけると思います。ただし自分だけでは生きていけません。共に生きる社会をみんなで作りましょう。



写真/長野竜成、文/市岡ひかり

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