公益社団法人 認知症の人と家族の会が発行する会報誌『ぽ~れぽ~れ』より、家族介護者の体験談記事「支部だよりにみる介護体験 北から南から」をご紹介します。今回登場するAさんの奥様はとても気が強く、衝突することも多かったため「老後まで過ごすことは無理だ」と思った時期もあったほど。ですが、認知症になった奥様は、以前の姿からは考えられないくらい可愛らしく、愛おしいと思えるような存在になったそうです。Aさんの奥様への思いをお話いただきました。
病む妻は昔じょっぱり※
自分でも何故か分からないが、認知症を発症した妻が愛おしい。
今年は、コロナ禍の影響もあり特に外出することは無いが、施設に入所した妻のもとには、週2回必ず面会に出かけている。面会の度、「今日も来たよ」といつものように妻に声をかけるが、うつむいて顔を合わせることも少ない。直接触れ合うことや会話することはできないが、顔を見るだけでも心が休まる。
特に子どもたちが巣立ってからは、行き違いもあり、気の強い妻とは何かと衝突することがあった。時には「このまま老後まで過ごすことは、無理だ」と思うこともあった。
改めて振り返ると、病気を発症した頃から何処にでも一緒に出掛けるようになった。
旅行に買い物に、いつも手を繋ぎ、妻の言動には何事も逆らわず、云うままに過ごしてきた2年半余りの時間が私にとって密な時間であった。
※じょっぱり…青森県の方言で「意地っ張り、頑固者」
病む妻は今天使
以前の姿が思い出せないくらい変貌した妻の姿が、そこにある。
月に一度ほど、私がふざけると妻から笑みがこぼれることがある。施設の職員に「今、笑ったよね?」と尋ねると「笑っていましたね」と答えてくれる。笑みがこぼれた一瞬をスマホで撮影しようとするが慌ててしまい、上手く撮影したことは無い。写真に残せてはいないが、私の脳には、ハッキリと笑顔が焼き付いている。喋ることも考えることも忘れてしまったような彼女がおり、私は「どうして?どうして?」と考えてしまう。 できることなら代わりたい。私自身、残された時間は、そう多くはないと感じている。 一日は長いが、過ぎ去っていく年は余りにも早い。夫さえも解らなくなったように思える妻の目は、なぜか天使のような感じさえする。
その優しい目で一度でいいから、昔のように名前を呼んで欲しい。絶対に叶わぬ夢と思いつつ、今日も何かに惹かれるように妻のもとへ足を運ぶ。
※この記事は『ぽ~れぽ~れ』(発行元:公益社団法人 認知症の人と家族の会)2022年2月号より抜粋・一部修正したものです。 公益社団法人 認知症の人と家族の会 ホームページはこちら